心情とは人間の行動を説明するためにつくられた仮説である。しかも、その仮説はうまくいっていないから消去し、より成功している神経科学に取って代わられるべきだ。
本節では人間が通常生きていくうえで、相手の行動や自分の行動をその心的状態により説明・予測するやり方を「素朴心理学」とする。この素朴心理学は科学理論と同じ構造をしている理論であり、他者の心的状態とは素朴心理学により出される仮説である。そのため、自身の心理学が人間のものと大きく異なる生物でも、素朴心理学という理論を応用することにより、人間の心情を「推測」できるようになる(例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』のQBは感情を持っていなかったけど魔法少女たちの感情を推測することができた、これは素朴心理学の応用による)。自分の心が信念や欲求の座だとする感覚も素朴心理学に依存する。例えば、自分何を感じているのかわからなくなったとき、過去・現在の外的状況から判断して「そうか、自分はこういう心情なんだ!」と推測することはよくあることだろう(「好きなアニメみているから楽しいはずだ」「なんであんなことしちゃったんだろう……もしや、愛!?」)。
心的状態とは「~はpということを信じる」「~はpということを欲する」などの命題的態度により構成されている。複数の命題的態度を法則化したものが素朴心理学となる(例えば、「すべてのxとpについて、xがpということを恐れるならば、xはpでないことを欲する」など)。この命題的態度と素朴心理学の関係は物理科学における数的態度と科学理論の関係に類似している。
心身問題とは、素朴心理学の存在論と神経科学理論の存在論はどのような関係に位置するかという問題に他ならない。同一論者は素朴心理学が神経科学理論にすんなりと還元されると主張し、二元論者は素朴心理学が神経科学理論とは独立のものだと主張する。機能主義者は素朴心理学の秩序とは自然法則による秩序ではなく、ある機能状態の抽象的な秩序であるため還元は不可能だとする。筆者が属する消去主義では、素朴心理学が人間に対する説明として不適切であるため、より優れた神経科学理論により置換されると主張する。
この節で、筆者は素朴心理学が非常に質の悪い理論であると論ずる。その理由として、第一に挙げるのが説明できない事象が大量にあることだ。素朴心理学は精神病、知的能力の個人差、睡眠、無意識のうちに起きる行動、学習過程そのものがどのように学習されるかなどの問題に解答を与えることができない。このことにより素朴心理学は広い適応性を持つ理論とはいえないことが明らかになる。第二に、歴史を振り返れば素朴心理学はまったく発展していない。古代で使われている素朴心理学は現在と同じものであり、これまで改良されることはなかった。これは、実験により成長しつつある神経科学理論と対照的である。第三に、素朴心理学は他の科学理論との整合性を持っていない。一方、神経科学理論は生物学や物理学などの理論との整合性を保持している。この三つの理由により、素朴心理学は間違った理論(質の悪い理論)として消去される可能性が高い。
この節では、『素朴心理学は経験的な理論とはいえない』とする機能主義者の批判を説明している。この批判には二種類あり、第一のものは素朴心理学の規範的性格を強調するものだ。素朴心理学は「合理的」とはどのようなことかを規定している。もちろん神経科学とは合理的なものでなければならない。そのため、神経科学にとって素朴心理学は絶対に必要なものとなり、消去することはできない。
第二に、素朴心理学の抽象的本性に関わる反論がある。機能主義者は心的状態をある感覚刺激を外的行動に変換する機能状態(内的秩序)と定義する。例えば、「痛い」という心的状態は痛い刺激を受けて痛そうに行動する機能である。この機能は多様な物質基盤により構築することが可能であるため、自然法則による説明とは別の説明が必要となる。それを説明するのが素朴心理学に他ならない。
この節では、錬金術と機能主義のアナロジーを使い、前節の批判に対し反論する。錬金術の理論において、物質は「水銀」「硫黄」「石黄」「塩」という四つのスピリッツを持っており、その組み合わせによりさまざまな金属が出来るとされた。もし、この理論が常識化してしまい、後世まで残り、近代化学と対峙したらどうなるだろうか。最も単純な解決方針は錬金術の消去だろう。しかし、機能主義的に錬金術を擁護することはできる。四つのスピリッツにより霊魂を吹き込まれているということはある機能状態だと主張するのだ。例えば、水銀により霊魂を吹き込まれている状態は、光を反射する傾向、熱によって融解する傾向、同じ状態にある他の物質と結合する傾向などによって定義される。そして、これら四つの状態はそれぞれに関連しあっており、それを説明するのが錬金術となる。これらの機能状態は多様な物質基盤により構築することが可能であるため、自然法則とは別の説明が必要となる。このように、錬金術は粒子化学によって見出せる状態とは別のレベルの状態を把握すると主張できる。
このアナロジーにより、機能主義が間違った理論を擁護する方法になりうることが示される。筆者は、錬金術による金の創造と同じように機能主義的戦略による人工知能の創造も間違ったアプローチかもしれないということを示唆する。どちらも、表面的な特徴(錬金術なら光を反射する特徴、機能主義なら知的な行動)を調和させることにより目的のものを創造しようとしている。だが、消去主義的アプローチでは全体的な性質群(知能)がどのように直接引き起こされるかが重要視される。要は、機能主義的アプローチはマクロレベルでの表面的な特徴を見て、それがどのように再現されるか考えるというトップダウン的アプローチであるのに対し、消去主義的アプローチは、どのようにミクロレベルでの事象がマクロレベルでの事象へと繋がっているか調べるというボトムアップ的アプローチなのだ。ここまで散々機能主義を批判してきたが、消去主義は認知システムが機能的な秩序により説明されるという可能性を否定はしない。消去主義者が与するのは認知の正確な説明が素朴心理学からかけ離れているという見解である。
次に、素朴心理学の規範的性格を強調する批判に反論する。素朴心理学が論理的関係に依存するからといって、規範的であるわけではない。例えば、古典気体法則は命題間の論理的関係を記述しているが、規範的であるわけでない。素朴心理学が規範的であるという感覚は、人間がそれによって与えられるパターンの重視することによって生まれる幻想に過ぎない。また、素朴心理学によりもたらされる合理性は理想的なものではまったくない。そもそも、理想的合理性という概念が明確なものでない。逆に、素朴心理学の与える「合理性」という概念こそ人間を説明するものとして皮相的なものなのだ。最後に、仮に人間が現在持っている合理性の概念が素朴心理学の枠組みで構成されるとしても、その枠組みは、認知能力についてのもっと広く正確な説明にとって適切なものなのだろうか。少なくとも、言語活動をする人間に対しては素朴心理学の健全性を認めるにしても、その活動は認知活動のごく一部分に過ぎないのだ。認知活動全体を説明するためには素朴心理学は捨てられなければならない。
この節での結論は、素朴心理学とは人間や高等動物の行動に対する説明として、文化的に定着した理論に過ぎなく、より広く正確な説明を提供する神経科学理論に取って代わられるべきだということだ。
この節では、素朴心理学を消去した後の世界について、三つの可能性を示す。ここから一気にSF的な話となる。
第一の世界では、脳に関する研究により認知活動についての包括的な説明がもたらされる。その理論では、認知活動は四次元ないし五次元(後に数千あるいは数百万次元に変更)の位相空間内における比喩的な「超立体」として規定される。この立体の完全な説明は実質的に不可能であるが、少なくとも短期であれば明快な近似値を頼りにして内的行動と外的行動の予測が可能になり、長期活動に対しては、学習過程や精神病、性格と知能の個人差、動物間の種差に関して統一的な説明を提供する。伝統的な「知識」といわれるものはこの立体の一次元的な投影に過ぎない。この世界では、神経科学理論の存在論が素朴心理学の存在論を消去する。神経科学の成功が日常に影響を与える必要はないが、一部の人々が上記の神経科学理論を描写する語彙や法則を学習し、市場において素朴心理学を駆逐する可能性はある。
第二の世界では、脳神経の自然言語をつかさどる部分以外の知覚情報処理部分により処理される言語「超文」が作られる。「超文」は自然言語よりもはるかに正確に人間の認知活動を反映するため、情報交換の効率が非常に高く、おまけに学習可能である。そのため、二世代もたつと、この惑星上の自然言語は「超文」に淘汰されるであろう。自然言語の消滅とともに、素朴心理学の命題的態度も消滅するだろう。
第三の世界では、人間の大脳半球同士が情報を交換し合うように、複数の人々の脳同士が情報を交換し合うようになる。具体的には、神経活動を電磁波に変換して放射し、受け取った電磁波を神経活動に戻すアンテナを作ればよい。あらゆる人々がこのような装置を備えたとしたら、いかなる種類の話し言葉も消滅するだろう。この世界の人々は、一人の人間の右脳が左脳のことを『理解し』『考える』ように他者のことを理解し、考える。それは非常に緊密で能率的だ。しかし、そのやり方は決して命題的ではない。
この論文の内容に関係ありそうなSFを紹介。
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