イグジステンズ (2011-10-07, 三沢)

1 デビッド・クローネンバーグ、主な監督作品

2 概要

この作品はクローネンバーグの初期作『ビデオドローム』(後述)の設定をビデオからゲームに置き換えて、わかりやすくしたものだとウィキペディアなどで言われている。映画としては『ビデオドローム』のほうがプリミティブだし、議論のやりがいがありそうに思えたが、『イグジステンズ』のほうは、このたびSF研が撮った映画と似たところが多々あり、編集にあたって少しでも参考になれば(まあ、ならねえけど)という考えのもと、この作品を選んだ。

クローネンバーグは、作家のサルマン・ラシュディが潔白と信じて書いた文章によって死刑宣告を受ける様子を題材にした。この場合、ゲーム・デザイナーがラシュディの役になっている。

「人がゲームとの融合を望めば、ゲームも人との融合を望む。ゲームやコンピュータに人は何を求めるか。それはゲームとの融合だ。そこで発想を展開して、ゲーム端末と人の中枢神経を直接つないでみた。現実に近づけて有機的な世界にするためだ」

ストーリーのほうは、それほど斬新ではないと思う。主人公が現実と妄想の境を見失い、何ものかに命を狙われているという追跡妄想にとりつかれる、おそらく『トータル・リコール』だとか『未来世紀ブラジル』などと通底したテーマを持っている(いわゆる夢オチとは若干異なる気もする)。ただし、ゲームを介して妄想にとりつかれる点は『XZ』の特徴である(もちろん『朝のガスパール』や『.hack//sign』のようにゲームを扱った作品はある)。間違いなく斬新なのは、作中に登場するゲーム機が有機物になっている点である。このへんについて、どこまで関係あるか知らないし責任も持たないけど、〈器官なき身体〉だとかマクルーハンのメディア論などを踏まえつつ考えようと思う。

3 人物とアイテム

テッド・パイクル
「アンテナ社の見習い社員。ゲラーの狙撃現場に居合わせ、思いがけぬ冒険に出る。」
アレグラ・ゲラー
「天才ゲーム・デザイナー。ファンから〈ゲーム・ポッドの女神〉と崇められる美女。」
ガス
「不気味なガソリンスタンド店員。バイオ・ポートの手術屋。金に目がくらんで、女神と崇めるゲラーを裏切ろうとする。」
キリ・ビヌガー
「ゲラーの古くからの友人。ゲーム・ポッドの修理屋。ゲラーが唯一、心を許せる相手。」
イェフゲニー・ノリッシュ
「イグジステンズのゲーム内に入り込んだパイクルを導く案内役。単なるゲーム内だけの存在ではなさそうな人物」
ウィトルド・レヴィ
「イグジステンズの開発担当者。イグジステンズ発表会での司会役。狙撃現場の流れ弾にあたって倒れる」
メルル
「ピルグリマージ社のスタッフとして、ゲーム〈トランスセンデンズ〉の発表会に参加する」
イグジステンズ
「有機生命体を使ったゲーム。人間の中枢神経と接続して、現実との境界を超えたゲームの世界を体感できる」
メタフレッシュ・ゲーム・ポッド
「アンテナ社がイグジステンズのために開発したゲーム端末。両生類の有精卵を培養したバイオテクノロジー製品。有機生命体なのでデリケートであり、ショックを受けると病気になりやすい。とりわけ感情の急変から起きるニューラル・サージ(神経波動)はポッドを破壊することもある。」
バイオ・ポート
「脊髄の末端、お尻のすぐ上に開ける穴。アンビ・コードを介してここにゲーム・ポッドを接続し、神経系に直接信号を送り込む。脊髄に直接穴を開けるため、場所がわずかでもずれると、下半身麻痺などの大事故を起こしかねない。モグリのバイオ・ポート屋で装着するなどもってのほか。」
グリッスル・ガン
「小動物の骨と軟骨から作られた銃。弾に使われるのは人間の歯であり、弾を装填した状態でも完全に有機物以外は含まない。したがって金属探知機にも科学物質探知機にもかかわらず、厳重な警備をかいくぐってどこにでも持ち込むことができる。」
アンビ・コード
「ゲーム・ポッドと同じ有機体で作られたコードで、バイオ・ポートに差し込んで人体とゲーム・ポッドをつなぐ。ゲーム・ポッドは人体の代謝を動力源に動くが、アンビ・コードはそれをポッドに伝える、いわば〈へそのお〉である。」

4 ストーリー(「」内はセリフ)

架空のRPG、イグジステンズの製作発表が教会で行われる(なぜ教会で?)。ゲラーはスキー・ブーツを背負って登場し、ファンに挨拶する。何人かのファンがゲームを体験する。そこへゲーム好きの青年を装ったテロリストがやってくる。警備がお粗末なため、テロリストは教会に入りこみ、ゲーム・デザイナーのゲラーをグリッスル・ガンで銃撃する(余談。この銃は『ザ・シークレット・サービス』に出てくる銃と設定が似ている)。ゲラーは肩を打たれただけで、死には至らない。青年はその場で射殺。警備員で見習い社員のパイクルは、彼女を教会から連れ出すよう、ウィトルドに言われる。撃たれたウィトルドはスパイの存在をほのめかして死ぬ。

パイクルはグリッスル・ガンを持ち出し、ゲラーを車に乗せ、夜の田舎町へ行く。お嬢様気どりで威張り散らすゲラー。「二人きりでいいことをするためよ」と言って、パイクルに肩の弾を摘出してもらう。弾は人間の永久歯っぽいやつ。

モーテルにたどり着く。パイクルは専属のガードマンをつけてもらうようアンテナ社に頼むべきだ、とゲラーに忠告する。ゲラーは無視し、逆にパイクルにバイオ・ポートを開けるよう言う。狙撃のときに損傷したゲーム・ポッドの症状を確かめるためだ、と言うとパイクルは納得する。

ガソリンスタンドの店員ガスは無許可でバイオ・ポートを開けるヤバい男。「バイオ・ポート? ああ、脊髄のところに開けてる穴のこったろ。このへんにはケツの穴野郎ならたくさんいるけどな」などと言って施術を断るが、ゲラーを前にすると奴隷のように素直になる。自動車の修理工場みたいな、見るからに不衛生な場所で治療する。「殺菌はしてあるよね、それ」「心配すんな。どんなに不衛生な場所でバイオ・ポートを打ちこんだとしても、ぜったいに感染しないようにできてる」「じゃあなぜツナギを着替えた」「気分的なものだ。気が引き締まるだろ。避けなきゃなんねえのは一つ、スタッド・ファインダーでミスることだ」「神さま!」「神だって? 俺のことだ。ふふふ」双頭のトカゲとたわむれるゲラー。「誰も麻痺させたことはない」「いままでに何人やった?」「三人。まあ、あんたは三人目だけど」(余談。この場面、小林泰三の『脳髄工場』に似ている)

手術が終わり、ゲラーは早速、パイクルにゲームをやらせる。パイクルはニューラル・サージを起こして(?)、イグジステンズのオリジナル版(開発費3800万ドル)が入ったポッドを壊してしまう(ソフトは無事?)。ゲームができなくなった、とゲラーが嘆く。しかしポッドが壊れたのは、ガスが不良品のバイオ・ポートをパイクルの身体に入れたからだった。ゲームを壊し、ゲラーを殺すと、賞金500万ドルが貰えるのだ、とガスは言う。ガスが二連式ショット・ガンを撃とうしたところ、反対にバイオ・ポート手術用の道具でパイクルに殺される。

車でスキー小屋に行く(この山奥のスキー小屋や、ゲーム・ポッドをスキー・ブーツに隠している点、スパイからゲームを守るためか?)。キリ・ビヌガーの登場。壊れたゲーム・ポッドを修理し、パイクルのバイオ・ポートを交換する(助手のランドリーが、なんだか不穏)。ゲーム・ポッドの設定が、ゲラーとビヌガーによって説明的に語られる。

パイクルとゲラーは治ったゲーム・ポッドを使ってイグジステンズ内に入る。スタート地点はゲーム百貨店。「とにかくプレイするの。なぜプレイしてるかわかるまでね」というゲラーの深遠な言葉。ゲームのキャラを無意識に演じて困惑するパイクル。ゲームの案内役、ダルシー・ネイダー。ゲームのキャラクターであるため、動作が夢遊病っぽい。

イグジステンズ内で似非イグジステンズっぽいゲーム(システマティクス社製)をやることになる。イグジステンズ内で別のゲームのキャラを演じ、性交しはじめるパイクルとゲラー。逆らっても無駄、とのこと。パイクルは現実世界の肉体がどうなっているか心配する。

マスの養殖場を装ったゲーム・ポッド工場に場面がすりかわる。パイクルは慣れた手つきでカエルの内臓をえぐり出し、紙袋に詰め、LAと書いてベルト・コンベアーに載せる。似非イグジステンズのキャラ化している。ここでのパイクルは、ラリーという名前になっている。イェフゲニーの登場。イェフゲニーは林の中華料理屋で昼食を食べればいい、とパイクルにすすめる。そこで〈スペシャル〉を注文しろ、とパイクルに言い含める。パイクルはマス工場で働いているゲラーに色目を使って接触する。ゲラーも夢遊病じみたキャラになりかけている。

二人は中華料理屋へ行く。彼女の誕生日だ、と言ってパイクルはイェフゲニーの指示通り〈スペシャル〉を注文する。いったん拒んでから快諾する中国人の給仕。パイクルは現実とゲームの境界を見失いかけている自分に気づき、ゲームを中断したがる。「ここにいると、現実から切り離されている感じがする。現実の感覚を失いそうだ。君にわかるかい? それにこのゲームには、精神異常を招く危険性がある気がする」「よし! いい兆候だわ。神経系がゲームに完全に同調してるってことよ」いったん現実世界=スキー小屋へ。

ここは本当に現実世界か、という議論に。「ここも現実じゃないみたいだ」(…)「わからないんだ。いま、ぼくたちがいる、この場所が、現実なのか。ゲームの中みたいだ。君もだ。まるでゲームのキャラクターに思えてきた」ゲラーはキスして誤魔化す。

ふたたび中華料理屋。出てきた料理は双頭のトカゲ。パイクルは気持ち悪がりつつも、がっついて喰いはじめる。それは〈ゲーム衝動〉らしい。が、しかし! 喰い終わった残骸を組み立てると、グリッスル・ガンになる。ゲームの開発者を撃った銃がなぜゲーム内にあるのか。「これも設定のうち?」というパイクルの質問に「ええ、あ、勿論そうよ」とゲラーはあいまいに肯定する。パイクルは〈ゲーム衝動〉から、グリッスル・ガンで中国人の給仕を銃殺したがる。リアルすぎて殺せるかわからない、殺したくない、などと訴える。矛盾した言動。「自由意志は、どうやら、この世界じゃあまり尊重されないらしいな」と言って結局、給仕を殺す。給仕が死んでも反応の薄い客たち。ゲームっぽい端役のリアクション。

「二人ともテストに見事に合格した」と言って再びイェフゲニーが接触してくる。中国人の給仕を殺すようゲームを仕込んだのはイェフゲニーであることが判明する。給仕というのは客の会話を耳にするので裏切りやすい。だから殺したのだという暴論。そして子ワニの首を肉切り包丁で刎ねるというイミフな演出。

突然変異した両生類の養殖池へ。本来はゲーム・ポッド用の両生類だったが、食べてみたらけっこうイケるので食用になり、その両生類はグリッスル・ガンの部品をつくるのにも使われるとのこと。シャレにならないグロさ。システマティクス社は現実の敵だ、ポッドを壊してやる、とイェフゲニーは息巻く(ゲラーを撃った現実のテロリストと入れ子になってる?)。イェフゲニーはパイクルとゲラーを「真の現実主義者だ」と言って同士扱いする。熱烈に歓迎する。

ゲームのスタート地点=ゲーム百貨店に戻り、ヒューゴ・カーローという男と接触する。ダルシー・ネイダーの代わりにこの男が案内役になっているらしい。中国人の給仕は、(現実世界との?)連絡役になっていたのに、おまえらは殺しちまった、なんてこった、と嘆く。「彼の犬が、こいつ(グリッスル・ガン)を持ってきた」イェフゲニー・ノリッシュは何者か? ネイダーとグルになって現実主義者の壊滅を目論むシステマティクス社の二重スパイだ、とカーローは言う。カーローこそ真の現実主義者らしい(本当か?)。今度はこっちがイェフゲニーを殺してやる、とか言う。

パイクルはゲームに対して疑心暗鬼になる。「とにかく嫌だ。わけがわからない。こんな、実体のない世界を、ずっとうろつきまわって、ろくにルールも、目的も知らされず、ていうより、理解不能だ。ルールなんてないのかも。しかも得体が知れない力にいつ殺されるかわからない」

パイクルとゲラーはマス工場で病気のゲーム・ポッドを発見する。ゲラーはプレイしたがる。「病気が感染するのにどれくらいかかる?」「あっという間よ」「そのあと他のポッドをぜんぶ繋いで感染を広めるのか……」(はーあ!?)

ゲラーは(イグジステンズ内でシステマティクス社のゲームをやっている最中に)別の、見るからに病気のゲーム・ポッドに接続する。ゲラーの様子が急変する。パイクルはアンビ・コードをナイフでちぎる。アンビ・コードを切ったら失血多量で死んでしまう、ということを切ってから気づく(この間抜けさは何?)。パイクルはパニくる。そこへ、俺に任せろ、と言ってイェフゲニーが再登場する。「現実主義に死を!」と叫びつつ、火炎放射器で病気のゲーム・ポッドを燃やしはじめる。ゲーム・ポッドが破裂して黒い胞子が飛び散る。イェフゲニーは慌てふためく。その隙を狙ってゲラーはイェフゲニーを刺殺する。

現実世界(?)=スキー小屋に戻る。その際、イグジステンズ内のゲーム・ポッドの病気が、現実世界のゲーム・ポッドにまで感染している。なぜゲームの出来事が現実に影響を及ぼすのか。ゲラーが気づく。「キリ・ビヌカーよ! あの野郎」ビヌカーは病気のバイオ・ポートをパイクルに付け、ゲラーのバイオ・ポートを破壊しようとしたスパイだ(本当か?)。ゲラーは病気を治療するため、パイクルのゲーム・ポートに〈共鳴器〉を差し込む。

カーローがスキー小屋に乱入して、ゲーム・ポッドを機関銃で蜂の巣にする。なぜか鬼軍曹キャラ。スキー小屋の外の森では銃撃戦が行われている。現実主義者がアンテナ社の関係者を殺しまくっているらしい。カーローは総仕上げとしてゲラーを処刑しようとする。そのとき!

キリ・ビヌカーが背後からグリッスル・ガンでカーローを撃ち殺す。「わしの犬がこれを持ってきた」ビヌカーがスパイだという疑惑はまだ晴れていない。ゲラーはビヌカーを詰問する。「わしが殺したのはポッドだけだ。君のポッドはちゃんと無事だ」ビヌカーは、ゲーム・ポッドの神経系を複製(ソフトの違法コピーみたいなものか)していたらしい。ビヌカーは自分がシステマティクス社のスパイであることを自白し、ゲラーをアンテナ社から引き抜こうとする。ゲラーは拒否し、ビヌカーを機関銃で蜂の巣にする。

これが現実だったら君は人殺しだ、と言ってパイクルはゲラーを怒る。パイクルはゲラーに銃口を向ける。パイクルとゲラーの会話。

「二人が(教会から)一緒に逃げることになったのは偶然じゃない」「偶然じゃない?」「ああ」「(現実主義者)だからバイオ・ポートがなかった。(現実主義者の)一味だったのね」「いまもそうさ」「でもいまはバイオ・ポートがある」「バイオ・ポートはあんたに近づくための代償だ」「なぜそこまでするのよ」「敵のことを知るためさ」「だったら教えてあげる。あなたが暗殺者だってとっくに気づいてた、中華料理店で私に銃を向けたときにね。それと、ここで死ぬのは、あなた」ゲラーは起爆装置を押す。パイクルの背中に差していた〈共鳴器〉が爆発する。

教会へ。しかしゲームの体験者がやっていたのはアンテナ社の〈イグジステンズ〉ではなく、ピルグリマージ社の〈トランスセンデンズ〉というしろもの。その試作発表会がこの教会で行われていた。そのことを謎の女メルルが説明している。そもそもアレグラ・ゲラーがゲームの開発者というのは、〈トランスセンデンズ〉の設定の一つであって、パイクルとゲラーは実は恋人とのこと。〈イグジステンズ〉でイェフゲニーを演じていた男が、〈トランスセンデンズ〉の開発者だった。

ゲームの発表会が終わり、開発者の男が教会の椅子に座っているところを、パイクルとゲラーが自動拳銃で撃ち殺す(ここではパイクルとゲラーが現実主義者になっているらしい)。

おしまい

5 関連する映画

『ビデオドローム』

主要人物

マックス
過激なポルノを売りにするテレビ局社長。キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』に出てくるトム・クルーズみたいな有産リア充。
オブリビオン
テレビを通してしか、人と接しない男。すでに死んでいるが、膨大な独り言をビデオに記録し、適切な場面でそれを娘に再生させることで生きているかのように偽装している。このような独り言がある。「テレビの画面は心の目の網膜だ。すなわち頭脳の一部ともいえる。ゆえにテレビ画面に現れたものは、見ているものの体験となる。つまりテレビは現実だ。現実以上に」このキャラや言動は、マクルーハンを意識していると思う。

あらすじ

マックスは従来のポルノに刺激を感じられなくなっている。しかしテレビのインタビュー番組に出演した際、自社の放送が社会に悪影響を与えるのではないかなどと司会者に言われる。あるとき海賊電波で流れているビデオドローム(ストーリーのないSM、あるいは一種のスナッフ・フィルムみたいなものか)の存在を知って、それにのめりこんでゆく。インタビュー番組で共演したオブリビオンという男が黒幕なのか。マックスはオブリビオンの娘からビデオを届けられ、それを見る。ビデオの中でオブリビオンはマクルーハンじみたことを言っている。マックスは、妄想世界と現実が混濁しくる。オブリビオンの脳腫瘍がビデオドロームの妄想世界をつくっているのか、という話が出てくるが、よくわからない。やがてマックスはバリーという謎の眼鏡屋と接触し、彼に唆されて同僚を殺し、その挙句、バリーをも殺し、自殺する。

6 関係ありそうな話

クローネンバーグが変態的VFXを使う理由について

SFではしばしば、人間が機械化され、機械が人間に近づき、人間と機械の境界はどこにあるのか(古い!)という問いかけが一つのテーマにあった。これはまともな問いであり、まともであるがゆえに頭で考えることができた(答えが出るかは別としてね)。

クローネンバーグの問いは頭で考えられるだろうか(そもそも彼は問う気があるのか)。『ビデオドローム』では、主人公の土手っ肚=ヴァギナ=拳銃の隠し場所=ビデオテープの挿入口、になっている。『XZ』では、バイオ・ポート=ヴァギナ、ゲーム・ポッド=性対象あるいは依存性のある薬物、になっている。これはどういうことか(ただの妄想世界だろ? と言われたら元も子もないんだけどね)。単に機械が人間に、人間が機械に近づいているというテーマを超えているように思える。

そこで、このでたらめな人物、アイテムを説明するために、〈器官なき身体〉という概念を紹介してみる。

〈器官なき身体〉はアントナン・アルトー(1896-1948 幼いころに脳脊髄膜炎を患い、以降も頭痛に悩む。役者、演出家を経て、アイルランドなどを旅し、旅行中に精神病院へぶち込まれ、退院して二年せず死去)が『神の裁きと訣別するために』(河出文庫)で使った表現。

「人間に器官なき身体を作ってやるなら、人間をそのあらゆる自動性から解放して真の自由にもどしてやることだろう」

ここでは、人間の身体が神の黴菌によってつくられたものだとほのめかしている。そのように間違ってつくられた人間、身体構造を批判しておいて、それとは逆に、新しく自由につくり直されたものとして〈器官なき身体〉という概念を提示している。

その後、〈器官なき身体〉はドゥルーズらによって『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』(両方とも河出文庫)の中で使われるようになる。両方とも、基本的にフロイトのオイディプス・コンプレックスにものすごく批判的。以下、『アンチ・オイディプス』一章のまとめ。しばらく形而上学的ちんぷんかんぷんな話がつづく。

「器官なき身体は、非生産的なものである。(…)イメージのない身体である」

〈器官なき身体〉というのは〈欲望機械〉なるものから生まれるらしいが、両者は互いに反発する。というか〈器官なき身体〉が〈欲望機械〉に耐えられなくなる。

〈欲望機械〉とは何か。欲望と機械にわけて説明する。かつて欲望は対象を欠いたものと考えられてきたけど、実は欠如しているのではなく、欲望と対象はくっついていて、欲望とはほんの僅かなものを欲求するにすぎず、それは残されたものを欲求するのではなく(アンドロギュヌスの半身の話か?)、たえず剥奪される客体的存在を欲求する。つまり(芸術家とかが)現実に生産することである(表現衝動のことを言ってるのか?)。

次に機械。機械は切断のシステムで、物質的流れを切りとるもの。切断されるということは連続性が前提にあるので、切断は連続の条件になっている。何が連続しているのか。たぶん欲望のことだろう。しかし機械は機械の機械であり、機械が何かを切断するのは、別の機械とつながる場合だけなので、一つの機械が欲望を切断しても、欲望が消えることはない(ということかな?)。つまり欲望=機械になってしまう。

やっと本題。〈欲望機械〉から生まれて、それに反発する〈器官なき身体〉とは何か。これに関しては『千のプラトー』の六章に詳しく書かれている。

「われわれは器官なき身体を有機体の成長以前、器官の組織以前(…)として扱う」(…)「器官なき身体は器官に対立するのではなく、有機体と呼ばれる器官の組織化に対立するのだ」

これはアルトーの言っていることと重なる。次はD&Gによる器官なき身体の定義。

「器官なき身体は、欲望の内在野であり、欲望に固有の存立平面である(そこで欲望はあくまで生産の過程として定義されるのであって、それに空虚をうがつ欠如、これを満たしにくる快楽などの、どんな外的契機とも無縁である)」

これは〈欲望機械〉の話と重なる。快楽と無縁っていうのは反フロイトっぽい。

では具体的に〈器官なき身体〉はどのようなものを示すのか(イメージのない身体って言ってる時点で、具体化は困難なのだけど、あまりに形而上すぎてぼく自身何を書いているのかわからないから、できる範囲で具体化してみる)。

「なぜ、さか立ちで歩き、骨のくぼみで歌い、皮膚で見、腹で呼吸しないのか」

この反語っぽい文章からして、そのようにするのが〈器官なき身体〉の一例であると言える。D&Gは〈器官なき身体〉の例としてマゾキストの身体を詳しく分析しているが、麻薬中毒患者の身体についても言及している。そこで引用されるのがバロウズの『裸のランチ』(河出文庫)。グロ注意。

「人間の身体はまったく腹立たしいくらい非能率的だ。どうして調子の狂う口と肛門のかわりに、物を食べるとともに排出するようなすべての目的にかなう万能の穴があってはいけないのだ? 鼻や口は密閉し、胃は詰め物をしてふさぎ、どこよりも第一にそれはそうあるべきはずの肺臓にじかに空気孔をつくることができるはずだ……」「肛門をしゃべるようにした男のことは話さなかったか? その男は腹全体がひとかたまりになってあちこち動きまわり、屁のように言葉をひり出すんだよ」(…)「機能や役目の点から言えば一定の器官というものはない……性器官はどこにでも芽をふく……直腸はあちこちに口をあけ、汚物を吐き出し、口を閉じる……その有機的組織全体が一瞬のうちに順応作用を起こして色彩を変え密度を変えてゆく……」

これは、つまりヤク中の妄想と片付けられてしまう一方で、イメージ不可能な〈器官なき身体〉をイメージする手助けにもなっているわけだ。要するに〈器官なき身体〉は、我々がふつうの生活をしているかぎり有機体として、統制のとれた働きをしてくれる身体ではなく、現実にはありえない、でたらめな動きをする身体、一種のシュルレアリスムの身体のことだろう(単なるでたらめに終止するのでは弱いから、D&Gは存立平面や抽象機械の概念を出してきたのだろう)。

結論として、クローネンバーグは変態映画ばかり撮っていると批判する人に対して、実は〈器官なき身体〉の映像化という壮大な実験がなされているんだよ(?)ということを言いたかった。

人間の拡張について

『XZ』に出てくるゲームは有機的なものでつくられており、どこかただならぬ依存性を持っている。別にゲームが有機物でつくられているからというわけではなく、そもそもゲームの依存性は全般的に言えることだろう。ゲームを奪われると気が狂う。そういうことはゲーム以外でも起きている。

「この間、京王線の電車の中でiPhoneを落としてしまった。電車を降りてほどなくして気がつき、遺失物係に連絡したが、iPhoneは出てこない。とりあえず、コンピュータに入ってgmailのパスワードを変える。Twitterのパスワードも変える。さらにiPhoneのデータをリモートで消去することを試みるがうまくいかない。途方に暮れる中で、自分がいま抱えている不安は、個人情報が漏洩することよりも、それは、突然腕が動かなくなったような、まるで身体の一部を失ったかのような喪失感があることだと気がつかされた。財布を落としても、こういった喪失感はないだろう。財布には身体性はついてこないのだ。つまり、iPhoneは特殊な形で自分の身体の境界を拡張していたことに、気がついたのである」(池上高志)

これはとてもわかりやすい例。さらにマクルーハンという人はこんなことを言っている。

「電信の発明以来、私たちは人間の脳と神経を地球全体に拡張させてきた」

それ以前は肉体の拡張だったらしい。たとえば皮膚の拡張は衣服、歯の拡張はのこぎりや包丁、目の拡張は望遠鏡や顕微鏡、手のひらの拡張はカップやボウル、胃の拡張は冷蔵庫、などなど。これについて賛否両論あるかと思うが割愛する。

問題なのはゲームが何の拡張かということ。ゲームを奪われたときに感じるイライラ(やっててもイライラするんだけど)は、人間の拡張した何か(さっきの人はiPhone)が奪われたときにくるイライラに等しい。じゃあ、それは覚醒剤やヘロインとどこがちがうの? というのがクローネンバーグの皮肉だった。

結論は特にない。

7 議題


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