新房昭之(しんぼうあきゆき)。元アニメーター、『メタルファイター♥MIKU』(1994年)で監督デビュー、主な監督作品に『魔法少女リリカルなのは』(2004年)、『ひだまりスケッチ』(2007年)、『化物語』(2009年)など。
虚淵玄(うろぶちげん)。ゲームメイカーニトロプラス社所属のシナリオライター。同社のデビュー作『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』(2000年)のシナリオを手掛ける。代表作に『鬼哭街』(2002年)、『沙耶の唄』(2003年)など。陰鬱なシナリオを描くことに定評がある。SF方面では『神林長平トリビュート』(早川書房、2009年)でSF長編小説『敵は海賊』へのトリビュート短編を書いたこともある。
承認欲求の強い中学生鹿目まどかはある日奇妙な夢を見る。その夢の中で黒髪の少女が巨大な何かを戦っていた。翌日、学校に行くと夢で見た少女が転校してくる、名前は暁美ほむら。ほむらは言う「あなたは鹿目まどかのままでいい」。数日後、まどかと友人の美樹さやかはその転校生がコスプレ姿で動物虐待をしているのを発見、小動物を保護し逃亡する途中摩訶不思議ワールドに入る。そこに怪物たちが襲いかかる、危機に陥る二人だが、巴マミという『魔法少女』を自称する少女が助けに入る。小動物は自分をキュウべぇ(以下QBと略す)と名乗り、まどかに対し「僕と契約して魔法少女になってくれ」と頼み込む。
魔法少女とは、人々を自殺に追い込む存在「魔女」と戦う使命を持つもののことであり、魔法少女となるものはQBとの契約により願いを一つ叶えられる。魔法少女は「ソウルジェム」という宝石を身につけていないといけない。また、まどかは非常に強い魔法潜在力を保持しているらしい。魔法少女は定期的に魔女を倒したとき排出される「グリーフシード」を手に入れなければ、ソウルジェムに穢れが溜まり魔力がなくなってしまう。巴マミが言うには、暁美ほむらは自分の魔力を増大させるために魔女を狩っており、他の魔法少女に魔女が狩られるのを嫌がる。
巴マミが魔女との戦闘により死亡する。
美樹さやかが魔法少女になる契約をする。願いは交通事故に遭って上半身不随になった幼馴染、上条京介を回復させること。彼は若き天才バイオニストだったが、事故のため演奏できなくなっていた。
魔法少女となった美樹さやかがまどかとクラスメイトの仁美を救う。美樹さやかは魔法少女になっても「後悔なんてあるわけない」と豪語。一方、隣町の魔法少女佐倉杏子は魔女を狩るのに邪魔なさやかを殺害する計画を立てていた。
美樹さやかが魔女の幼生である「使い魔」と戦っているとき、佐倉杏子が介入してくる。さやかは使い魔を逃してしまい、杏子に文句を言うが、杏子は生態系の授業をする。曰く、魔女と魔法少女は生態系を作っており、使い魔が魔女に成長するまで待たないとグリーフシードは手に入らない。キャッチ&リリースの哲学を披露する杏子だが、さやかは聞く耳を持たず、人々を自殺に追い込む使い魔を放っておくとはお前は悪だと返す。売り言葉に買い言葉、たちまちのうちに殺し合いになる二人。杏子がさやかに全治三カ月の重傷を負わすが、さやかはたちまちのうちに回復。契約時の願いに怪我の治療を願ったので回復魔法が強力となるらしい。それを見て、杏子がマジで殺そうとするが、そこをほむらが登場して事なきを得る。それ以来、美樹さやかは佐倉杏子を殺害しようと決心。
暁美ほむらが佐倉杏子と接触、一週間後に超巨大魔女『ワルプルギスの夜』がやってくるから、そのとき共同戦線を張ろうと提案。受諾する杏子。
美樹さやかと佐倉杏子の戦闘第二ラウンドが始まる。今度の舞台は歩道橋の上。鹿目まどかと暁美ほむらもやってくる。戦闘の火ぶたが切って落とされようとしたとき、まどかが戦闘を止めさせるためさやかのソウルジェムを歩道橋の下に落とす、通りかかったトラックの上に落ちるソウルジェム。突然、美樹さやかが意識不明となる。慌てふためくまどかと杏子を尻目に、ソウルジェムを取りに行く暁美ほむら。ソウルジェムが回収され、さやかの近くに置かれた時、さやかの意識も回復する。
ソウルジェムのシステムが解明される。ソウルジェムとは魔法少女になった人間の魂を入れる容器だったのだ。通常、身体に入っている魂だが、頻繁に戦闘する魔法少女にとって、魂の容器としての身体はあまりにも脆いものだ、そのため丈夫なソウルジェムに魂を入れるのだ。また、その機能を使えば、身体が受けた痛みを緩和することも可能である。美樹さやかは自分の身体と魂が分離した状況に嫌悪感を覚える。
上条京介が退院するが、彼は友人の仁美を好きになってしまった。さやかは魔法少女になった自分にグロテスクな気持ち悪さを感じ、上条京介に告白することができない。
美樹さやかの精神状態が悪化する。グリーフシードを手に入れなかったためソウルジェムに「穢れ」が溜まり、遂には魔女となってしまう。「魔法少女」という名称の由来は「魔女になる前の段階」という意味である。魔女とは成長した魔法少女に他ならない。
QBの目的が発覚。QBは高度に発展した宇宙生物であり、やがて訪れる宇宙の熱的死を防ぐため人間の感情エネルギーを集めている。魔法少女が魔女となったとき、熱力学に従わないエネルギーが放出されるのだ。
一方、佐倉杏子は美樹さやかを救い出すため鹿目まどかと接触。魔女となったさやかにまどかが呼びかけるという作戦を実行するが、失敗。佐倉杏子は魔女化したさやかと共に死亡する。
暁美ほむらの正体が明かされる。彼女は元々、作中の宇宙とは別の平行宇宙にいた。そこで魔法少女となった鹿目まどかに救助され、以来まどかに憧れを抱いていた。しかし、『ワルプルギスの夜』によりまどかは死亡してしまう。ほむらはQBに対し、「まどかを助けたい」と願う、その願いによりほむらは平行宇宙を移動し、まだまどかに出会っていない時間点に行く。そこで魔法少女となり、まどかと共に闘うが、その途中でQBの目的を知る。その後、いくつもの宇宙を渡り歩き、まどかが魔法少女になることを防ごうとするが、全て失敗し、作品冒頭に至る。
QBによる歴史講座。QBの種族は有史以前から魔法少女たちと契約をしてきた。人類文明が発達したのはQBのおかげ。人類はQBたちの家畜のようなもの。
鹿目まどかに物凄い魔力が潜在しているのは、暁美ほむらがまどかのためにいくつもの宇宙を渡り歩いたから。魔力はその人に費やされた『因果の量』により上下する。ほむらがいくつもの平行宇宙を渡り歩いたため、無数の宇宙の因果がまどかに集中した。
ワルプルギスの夜がやってくる、ほむらは戦うが敵う相手じゃない。そこに、まどかがやってくる、まどかは自分が叶えたい願いを見つけ、魔法少女となるためにやってきたのだ。彼女の願いとは何か……!?
まどかの願いとは「全ての宇宙、全ての過去・未来の魔女を生まれる前に消し去りたい」だった。それは物理法則を変更し、宇宙を根底から書きかえるという神の御業にも等しい行為である。その願いが叶ったため、鹿目まどかは「魔女に対抗する」という一つの普遍的概念・物理法則・神のようなものとなり、人間としてのまどかは初めからいなかったこととなった。
書き変わった宇宙でも、QBとその契約によって生まれる魔法少女は形を変えて存続していた。魔法少女は魔女とならないが、「円環の理」に従って消えていかなければならない運命にある。魔女と変わって出てきたのが、人の心のダークサイドから発生する『魔獣』。魔法少女は魔獣を狩り、QBは魔獣から回収される感情エネルギーを得ている。
巴マミと佐倉杏子は生き返ったが、美樹さやかは死んだまま。
鹿目まどかが消えた世界だが、暁美ほむらやまどかの弟は薄らとその存在を覚えている。
ラストシーンでは、荒涼とした砂漠(人類が絶滅したことを示している?)でほむらが単独で魔獣と戦っている。その耳元で「もうすぐ会えるよ」というまどかの声が聞こえる。
『もしそれ(人間と違う言語ゲームよる行動)を「誤り」と呼ぶなら、我々は自分たちの言語ゲームから出撃し、彼らの言語ゲームと戦っているのではないか。そしてこのように戦うことは正しいのか誤りなのか。もちろん我々はあらゆるスローガンで我々の振舞いを支持するだろう。』(ヴィトゲンシュタイン『確実性の問題』より)
今回、わたしのレジュメでは議論はあまり盛り上がらなった。その理由として議題の立て方が悪かったことが挙げられるだろう。わたしは作中のガジェットやアイデア、現象を単体で挙げ、それについて議論するという形をとったのだが、アニメにおけるガジェットとSFにおかるガジェットが全く違うということを忘れていたのだ。例えば、イーガンの「ぼくになることを」に出てくる『宝石』というガジェットは『ソウルジェム』と似ているように見えるが、実は役割が全く違う。『宝石』の場合、アイデアを形にするために主題として描かれているが、『ソウルジェム』は美樹さやかを絶望的にするために導入されたガジェット、いわば物語を盛り上げるための装置なのだ。個々のアイデアが主題となりうるSFと違い、アニメでは多くの場合、物語のためにアイデアがある。わたしのレジュメではピンポイント的な「アイデア」だけ抽出し、それが物語のなかでどういう位置づけになるか考えなかった。「物語」の視点に立ったレジュメが作れなかったのが議論が盛り上がらなかった敗因だろう。
| 話数 | サブタイトル | コンテ | 演出 | 制作協力 |
| 第1話 | 「夢の中で逢った、ような…」 | 芦野芳晴 | 宮本幸裕 | |
| 第2話 | 「それはとっても嬉しいなって」 | 芦野芳晴 | 向井雅浩 | |
| 第3話 | 「もう何も怖くない」 | 芦野芳晴 | 八瀬祐樹 | |
| 第4話 | 「奇跡も、魔法も、あるんだよ」 | 笹木信作 | 小俣真一 | アートランド |
| 第5話 | 「後悔なんて、あるわけない」 | 小俣真一 | 間島崇寛 | ディオメディア |
| 第6話 | 「こんなの絶対おかしいよ」 | 笹木信作 | 浅利藤彰 | C2C |
| 第7話 | 「本当の気持ちと向き合えますか?」 | 西田正義 | 城所聖明 | david production |
| 第8話 | 「あたしって、ほんとバカ」 | 小俣真一 | 川畑喬 | Synergy SP, 座円洞(作画協力) |
| 第9話 | 「そんなの、あたしが許さない」 | 七嶋典子 | 向井雅浩 | 手塚プロダクション, プロダクションリード |
| 第10話 | 「もう誰にも頼らない」 | 笹木信作 | 八瀬祐樹 | GoHands(作画協力) |
| 第11話 | 「最後に残った道しるべ」 | 伊藤智彦 | 渡邉こと乃 | マッドハウス |
| 第12話 | 「わたしの、最高のともだち」 | 笹木信作 | 宮本幸裕 |
全12話は、大雑把に3つに分けられる。1-3話の導入。4-9話のさやか・杏子編。10-12話のほむら編。1-3話では、魔法少女や魔女、グリーフシードなどの世界観が説明される。まどかがコンプレックスをいだいていること、さやかと上条さんの関係などが描かれる。4-9話では、さやか、杏子の話を軸に、キュゥべえの真意が明らかになる。10-12話でようやくまどかが出てきて、クライマックス。4-9話は長すぎると感じた。
まず、メインの魔法少女5人を好きな順から並べてみて欲しい。その後にキュゥべえを適当な位置に挿入してみよう。
ここで人気投票をした。しかし5人全員を順位付けるのはややこしいので、一番好きなキャラと嫌いなキャラを挙げてもらうことに。結果は以下のとおりで、ほむらと杏子が人気だった。| まどか | ほむら | マミ | さやか | 杏子 | |
| 一番好き | 0 | 3 | 2 | 3 | 4 |
| 一番嫌い | 2 | 0 | 3 | 6 | 1 |
「へえ、まどか☆マギカ好きなんだ。どのキャラがよかった?」
「え、いや、キャラで楽しむような作品じゃないから……」
本心では(まどか☆マギカはブヒブヒキャラ萌えするような作品じゃないんだよこの萌豚が)と思っていたかもしれないが……。
虚淵玄といえば人外ヒロイン。魔法少女もいちおう人間ではないが、人類と利害関係が対立するようなヒロインは不在。
本作は絶賛の声が大きい。この理由を考察してみたい。
短所を短所と感じさせない技に優れていたからではないか。そもそも短所は存在するのであるから、そういった技は必ずしも褒められたものではないが、議論されるべき優れた技術には違いない。
SHAFT演出は(SHAFT製作のものに限ると)月詠に始まりぱにぽにだっしゅ!のころには一応の完成を見せる。このころはTVアニメバブルの最盛期で製作本数が多く、制作リソースが不足していた。SHAFT演出については多様な見解があるが、最大公約数的な言い方をすれば、作画リソースが確保できるかわからない段階において、コンテによって作品をコントロールする演出のこと。そして彩色・撮影などコンポジットを駆使して画面を保つ。なおSHAFTは動かないという印象が根強く存在するがこれは不適切で、動かすところは動かす。メリハリがはっきりしているため、作画マニアには好評だった。
梶浦由記の音楽は中盤において大きく貢献していた。
劇団イヌカレーによるプロダクションデザインも画面の派手さを際立てていた。しかし飽きる。
存外、キュゥべえは視聴者から嫌われていたようだ。キュゥべえへの憎しみがヒロインたちへの同情的な態度につながったかもしれない。
それは逆で、ヒロインへの同情がキュゥべえへの憎悪に結びついたという意見も出た。
激しいムーブメントが生じ、かつてないほどの熱狂とユーフォリアの最中で視聴されたことは大きい。盛り上がった状態で視聴すると、短所が目につかないか、目にはいっても無視するか、むしろ長所と認識してしまうということはよくある。
ほむら以外のキャラの描写が不十分だと感じた。しかし、声優も含めて、テンプレ的なわかりやすさがあった。キャラのイメージ形成は容易であり、二次創作によってキャラの個性が再強化されたと考えられる。
また、マザーグースや不思議の国のアリスなどのモチーフを用いたことによって生じた謎解き合戦がファンの楽しみを増やした。序盤のうちはそれらがストーリーの根幹に関わっているという見方がされていたが、結局ストーリーの本筋とは関係なかった。スタッフは自覚的にこういうネタをしこんだのだろうか。
さて、本作は多くの視聴者に熱狂的に歓迎された。では数年後はどう評価されているだろうか。エヴァを超えただとか、魔法少女の歴史が云々だとかいった意見も散見されたけれども、そういった歴史的評価を下すにはまだ早い。
なぞめいた設定を撒いておく手法はたしかにエヴァを彷彿とさせる(富野信者は落ち着いてください)。ただエヴァが本当に虚仮威しだったのに対し、こちらでは(解釈の余地はあるものの)すべて描かれた。また、エヴァは中盤では設定に頼らない正当なロボットアニメをやっているのに対し、こちらは逆であるため、作品の性質は違う。
挑発的に批判した内容のレジュメを作成してきたおかげで、肯定的な意見を引き出せて、作品の良さを再確認できた部分もあったが、熱狂的なファンが不在であり、世間の盛り上がりとは程遠い淡々とした評価に落ち着いた。やはりSFネタの雑さに不満を抱く人が多かった。とはいうもののSFネタでオチがついたことを歓迎する意見もあった。