夏目漱石「夢十夜」(新潮文庫)

開催日:2002/5/14

レポーター:齋藤

RESUME

まずことわっておきたいのは、この作品は「夢の文学」であって「幻想文学」ではないということだ。幻想文学は、世界の外観こそ現実ばなれしているが、世界は条理に守られている。しかし夢の中では条理というものが消え去り、不条理が支配する。その中では我々は何故、どうしてと問いかけることもできなく、世界は自分の意思とは関係なく「既にそうあってしまっている」のである。さらに、論理や因果といった条理があるならば手の出しようもあるだろうが、不条理なこの世界を自分の意思で動かすことはできず、未来をも決定されている世界なのである。

まず第一夜を見てみよう。

ここでは自分と「女」が登場するが、この女が誰なのか、自分とどういう関係にあるのか、場所はどこなのか、なぜ自分はここにいるのかといったことが全くわからない。この時点ですでに我々は夢の不条理な世界に入っているのである。なんの理由も脈絡もなく、ただ「既にそうあってしまっている」世界に落とされたのだ。

到底死にそうには見えない。然し女は静かな声で、もう死にますとはっきり云った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。

女がなぜ死ぬのか理由は全くわからない。しかし死ぬであろうことが「確信」されるのである。確信の根拠はなくとも確信してしまうのである。

女の埋葬に使う真珠貝と星の破片(かけ)、何でこんなものを持っているのか、第一それは本当に真珠貝と星の破片なのか、そんな問いかけは無しに話は進んでしまう。

女の死後、百合の花が咲き、暁の星が輝いているのを見て百年たって女が帰ってきたことに「気がつく」。しかしこの「気がつき」も論理的ではない。ただ、ここでは、女が百合に転生したのだ、と少々幻想的な創造を働かせたり、女と百合は美的論理において同等のものであるとしたりすることもできなくはない。

自分の意思と関係なく「既にそうあってしまっている」世界、という点においては第三夜がさらに徹底されている。

『だって鷺がなくじゃないか』

すると鷺が果して二声程鳴いた。

ここでは子供によって未来を決定されている。

『御前がおれを殺したのは丁度百年前だね』

自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したという自覚が、忽然として頭の中に起った。

ここでは過去を決定されているのである。

未来、過去、そして子供をおぶっている現在と、自分の全てが決定されている世界。全ては不条理という人間には届かない領域から落ちてくるのである。

不条理がわかりやすい形で現れているのが第十夜である。

「もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐められますがよう御座んすか」

何故絶壁から飛ばなければ豚になめられるのか、全くわからない。そしてどこからともなく大量の豚が出てきて、奮闘空しく結局は豚に舐められて、倒れて高熱を出す。どこから豚が出てきたのか。何故豚に舐められると熱がでるのか。全ては不条理である。

最後に、この作品とSFとの接点であるが、SFの定義を広くとって非日常な世界を見るものと考えると、この作品は立派なSFである。我々が無意識の内に頼っている条理というものの無い不条理な世界を見せてくれるのだから。

COMMENTS

内容の面白さだけでなく、「夢をどこまでそのまま書いたのかわからないからどこまで深読みしたら良いかわからない」という、夢の文学の反則的側面も指摘されたりして、夢というものの面白さを改めて認識しました。また、夢の実体験や河合隼雄の説についての話などはこの作品のもつSF性を裏付けるようでした。この作品は作品内容がSFなのではなく、「夢を題材にすること」がSF的なのだという意見にはなるほどと思いました。

もっと夢についての小説が読みたくなってきました。


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