[ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアについて]
アメリカのSF作家。本名はアリス・B・シェルドン。一九十五年、探検家の父と作家の母の元に生まれ、幼い頃より世界各国に滞在する。大人になってからは、軍等で働いた後に、一九五二年頃よりCIA創立に関わるが、一九五五年に辞職。その後、大学に入り直し、実験心理学の博士号を取得し、一時は、ジョージ・ワシントン大学の教壇に立った。一九六八年、「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」名義でSFを発表した。デビュー作は『セールスマンの誕生』(アナログ誌に発表)である。一九七〇年代には多くの賞を獲得し、一躍、一流作家の仲間入りを果たす。経歴が全く不明の謎の作家として、その正体に関しては様々な憶測を呼んだが、当時はその作風から、男性作家と信じられていた。また一九七七年には、正体が女性であることが暴露され、SF界に衝撃を与えた。その後も著作活動を続けていたが、一九八七年、寝たきりの夫と共に心中を計り、自殺した。
主人公のホービーは、新しい宇宙飛行士訓練プログラムを受ける為に空軍に入隊したが、訓練プログラムが中止されると、ベネズエラの反政府ゲリラとの戦闘にかり出されることになってしまう。そこでは、グアイラス流感が蔓延していて、ホービーもその為に病院に収容される。彼はそこで、自分がこの現実を調査するために派遣された観察者なのではないかとふと思いつく。そして、戦闘機に乗って飛び立ち、宇宙を目指しながら、
「
と、叫ぶのだ。
ストーリーを詳らかにすることが僕の意図ではないので、詳細は本文を読んでいただきたい。ちなみに、この作品は最後まで読んでいただかないと、全体的な構成が分かりにくい。特に、冒頭の「もしホービーの両親が金曜の夜八時半ごろにテレビを見る人たちであったなら、最初の兆候ぐらいには気づいたかもしれない」という記述が、『宇宙大作戦』を指しているということに、僕も二回目でやっと気づいた程である。
さて、この作品のキーワードは「ビーム転送」と「home」である。この作品を読む際には、初出がギャラクティ誌の六十九年四月号であること、つまり、六十年代末に書かれた作品であるということを覚えておく必要がある。例えば本文中の「プロテストの時代は<新しい政治>やラルフ・ネルダーとともに、とうに終わっていた」などという記述は、いかにも六十年代らしい未来感の表現である。ちなみにネイダー自身は未だに現役で活動しており、近年の大統領選挙にも出馬している。また、宇宙飛行士になるためには、軍隊に入らなければならないという考え方も六十年代らしい。五十年代後半の音速を越える実験は軍のパイロットによってなされていたし、マーキュリー計画のライト・スタッフは軍のパイロット出身者で構成されていた。もちろん現在なら、民間人でも宇宙に行くことは可能である。
ホービーが成長して、空軍のパイロットとして戦闘に参加していくのは、時代的には、八十年代前半と想定できるが、しかしその戦争の現実は明らかに六十年代のものである。もちろん、ベトナム戦争のものと考えてよい。作品中で撤散布されている枯葉剤は、そのままエージェント・オレンジのことであるし、シリオノ族という「非常に原始的な遊牧民族」とは南ベトナム解放戦線の兵士のことととれる。時にこの作品が発表された六十九年はベトナム戦争に派遣された兵士が四十九万五千人にものぼり、この数字は前年の五十三万六千人について、二番目に高いものである。この作品はそのような時代背景の中で、戦争という現実に、宇宙飛行士になるという夢を奪われた青年の物語なのだ。
題名にもなっている「ビーム転送」とは『宇宙大作戦』で描かれている「ビーム転送装置」のことである。『宇宙大作戦』とは六十六年から三シーズンにわたって放送されたSFテレビ番組であり、スタートレックシリーズとして、八十年代末より、『ネクスト・ジェネレーション』『DS9』『ヴォイジャー』『エンタープライズ』と連続して放送された作品である。また、これまでに十作品の映画が公開され、十一作品目の公開が二〇〇八年の暮に予定されている。コンピューター・グラフィックスが無かった『宇宙大作戦』の製作当時、惑星上に上陸班を送る際に、小型船でミニチュアを作っていたのではあまりにコストがかかり過ぎてしまうために、その代案として考案されたのが、この「ビーム転送装置」であった。これだと、わずかな電気代だけで映像が作れるからだ。この『ホライズム』をお手に取っていただいた方には「ビーム転送装置」に関する細かい説明は不要であると思うので割愛させて頂くが、端的に言うならば、物質を分子レヴェルに分解して、別の場所に送り届ける装置のことである。もっとも、公式設定集を読んだところで、その機能に関してはほとんど理解できないのだが。
しばしば言われていることだが、SF作品の中で、単体で大会を開けるものは、スター・ウォーズとスター・トレックくらいだぞうだ。スター・ウォーズは現在でもメディアミックス型で拡張していっているが、日本ではスタートレックはどちらかというとマイナーな部類に入っているかもしれない。しかし、本国アメリカでは、放送当時から根強い人気があり、ある種の国民文化的要素さえ持っている。そのため、『宇宙大作戦』の影響はかなり広い領域にわたっている。レギュラー出演者には、ロシア人やアジア人(日本人)、アフリカ人女性が配されているなど、当時としてはかなり革新的な番組であった。現実の社会問題を風刺する手段として、SFがメタファー的に用いられていた番組と評価してもよいだろう。
そんな作品に登場する「ビーム転送装置」を使って、ティプトリーはいったい何を描きたかったのだろうか。
その答えは、端的に言うならば、「home」である。そもそも、この作品の原題は「Beam Us Home」である。その邦題が「ビームしておくれ、ふるさとへ」なのであるが、個人的に原題の「home」と邦題の「ふるさと」にはニュアンス的な差異が感じられる。日本語の「ふるさと」という語は、「出身地」や「郷里」を指す語であるが、その根底には、自分が嘗ていた場所という意味が内在している。しかし英語の「home」という語には、単に日本語の「ふるさと」という意味以上に、精神的な安らぎを与えてくれる場所としての「家」や「故郷」という意味があるからだ。もちろん日本語の「ふるさと」に精神的な意味を持たせることもなくはないであろうが、それは副次的なものにすぎない。この「home」の意味するところは、戦争という現実の外の世界であり、高度なまでに昇華された世界である。もちろん、そこは現実世界を超越したある種の精神世界でもある。余談だが、マーク・トウェインの短篇作品『戦争の裏側(The Other Side of War)』の終盤にも、自分たちの理想と異なった戦場の対義語として「home」という語が使われているが、これと同じような意味合いである。
子供の頃に見たテレビ番組の影響で宇宙を目指した少年にとっては、戦争というものにリアリティを感じることは難しいことなのだろう。病床の彼にとって、仮想の宇宙こそがリアリティに満たされた世界なのだろう。そして、自分は、ビーム転送で宇宙船(エンタープライズ号)に収容されると思いたかったのだろう。彼にしても、もちろん、そんなことはありえないと頭の中では分かっていながらも、心のどこかで現実を拒否していたために、そう思えてきたのだろう。彼にとって現実は余りにも醜いものであったからだ。つまり、「ビーム転送装置」は、醜い現実から彼を解放してくれる装置であるとともに、自分が理想とする世界に連れ出してくれる装置でもあるわけだ。もちろん彼の理想とする世界とは、「宇宙大作戦」で描かれているような世界であったわけである。
この作品では、近未来的なものや技術的なものを描くのではなく、そこへと人間を高めてくれる動因が描かれている。しかも、それは戦争に投入されたホービーによって体現されているのである。彼は最後に、戦闘機で宇宙を目指していく。鼓膜が破れ、感覚がなくなってさえも宇宙をひたすら目指すのだ。そこに彼にとっての「home」があると思えたからである。
この作品を読み終わった後に何を見出すかは、読者それぞれによって異なるのではないだろうか。現実世界に同調できない者の悲しみだろうか。それとも、純粋なる情熱だろうか。若しくは、余りにも醜い現実と甘美な理想との剥離だろうか。もちろんそれは、最後の部分の解釈とも関わってくるわけだが、これ以上は読者諸賢の裁量に任せるべきだろう。
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