ウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」 (2008/12/11,田代)

著者略歴

ウィリアム・ギブスン(William Ford Gibson, 1948年3月17日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州コンウェイ生まれの小説家、SF作家。ベトナム戦争の際に、徴兵を拒否してカナダに移住し、しばらく路上生活を経験。その後、ブリティッシュ・コロンビア大学英文科を卒業。

あらすじ

ケイスは、コンピュータ・カウボーイ能力を奪われた飢えた狼。だが、その能力を再生させる代償に、ヤバイ仕事をやらないかという話が舞いこんできた。きな臭さをかぎとりながらも、仕事を引き受けたケイスは、テクノロジーとバイオレンスの支配する世界へと否応なく引きずりこまれてゆく。

解説

サイバーパンク
1981年代に成立・流行した、サイエンス・フィクションのサブジャンルもしくは特定の運動、思想をさす。代表作としては、ウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』などが挙げられる。
1章
闇取引のブローカーをやっていたケイスは依然騙したウェイジに追われている最中に別勢力のモリイに捕まり、取引(ネットに接続できるようにしてやるから言うこと聞け)することになった。
2章:
センス/ネットという企業に忍び込み、死人の人格を記録したメディアを盗み出す。その後紆余曲折あって、ケイスは黒幕なAIである『冬寂』に目を付けられた。

論点

SFとはつまるところ、「科学」というガジェットを根本にすえたファンタジーである。と、そんな風に考える人間にとってギブスンとイーガンの二人は又吉イエスにも匹敵する唯一神なわけですが、特にこのギブスンときたらイーガンとは別方向でSFの極北といっても過言ではないでしょう。

サイバーパンクの際立った特質に、「日常に浸透して完全に『道具』扱いされているハイテク製品達」を描いたという点が挙げられます。これが何故素晴らしいか。それは、これが現実の社会を完璧に模倣した設定であるということと、更に本来SFがファンタジーの一変種に過ぎないということの二つを表しているからなのです。

この二つを具体的に述べると、例えば現代ではハイテクの粋を集めた携帯電話やPCなんかが日用雑貨程度のレベルで社会に氾濫しているということを考えれば、サイバーパンクが現実の模倣であることは容易にイメージできるでしょう。

二点目は、つまり『高度に発達した科学は魔法と同じ』ということです。一般の消費者は、携帯やPCがどんな原理によって、或いはどんな仕組みによって動いているのかを完全に理解して使っているわけではありません。それがどういうものかを考えることなく『そういうもの』としていったん丸呑みし、『そういうもの』としての機能だけに意識を絞って使用しているわけです。ブラックボックス化といってもいいのですが、理解できないものを理解できないままに使用する行為が魔法であり、理解という行為の基礎である以上、碌な説明もないままに氾濫し、使用されている作中の大量のガジェット群という表現こそはSF=作中に魔法が登場=ファンタジーの変種という図式を物語っているといえるのです。

さて、「文学は一方で可能的なものの模倣であり、他方で-現実化としての-創造である」と言ったのはカール・ダールハウスですが、この言葉が高度な現実の模倣は何故素晴らしいか、という疑問への解答となります。

元々人間という生き物にはそんなに豊かな妄想力などありませんから、物語といえどもある程度現実世界と相似していなくては上手くイメージすることが出来ません。つまり物語に没入するためにはリアリティが必須なのです。

そしてこのリアリティという土台を確保した上で、物語は非現実的な世界を描写しなくてはならない。そうでなければ物語りはただの詰まらない現実の描写に過ぎません。

サイバーパンクの「日常に浸透して完全に『道具』扱いされているハイテク製品達」はこの二つの条件を完璧にクリアします。まず図式として現代の相似であり、それらがジェット群の大幅な誇張表現(主に時間軸的な意味で)によって非現実感を導出します。そしてまたこのサイバーパンクがもたらす非現実感はファンタジーのそれであり、「ファンタジーである」という要素はSFであることの条件でもあると。即ちサイバーパンクこそ現実から非現実への滑らかな転換を実現し、その実現の仕方において完璧にSFの本質を捉えている、SFの中のSFというわけなのです。

ま、僕自身はスプロール三部作はまだ全部読み終えてないしブレードランナーも見てないけどねー(笑)

だいたいギブスンの文章って抽象的な描写が多すぎて今何してるのかさっぱり読み取れない。この辺何とかしてくれれば最高なのに。

関連作品として攻殻機動隊が物凄くお勧め。また変種のスチームパンクとして『ディファレンス・エンジン』もお勧め。

ちなみに

カール・ダールハウスは20世紀ドイツの音楽学者。学究肌の理論家として、冷戦時代の音楽学の発展を促した。専門分野の中で幅広い題材について数々の著作や論文を執筆したが、その多くはクラシック音楽の歴史、とりわけ19世紀のロマン派音楽に偏っている。「完全芸術」としてのワーグナーの作品や理念について、またいわゆる「モダニズム」の作曲家によって、社会や政治についての新しい音楽語法がどのように形成されるかについて興味を寄せ、もはや芸術は「芸術至上主義」ではいられないとした。ほかに好んだ題材に、音楽理論や音楽美学が挙げられる(by wikipedia)。



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