[読書会要旨]
本作はタイムトラベルものとしては珍しく悲劇的な結末を迎える。この結末は時代的な差異への無理解が主な原因となっているが、我々はやはり環境に操られる人形でしかないのだろうか?それとも、現代という優位を利用してこれらの差異を超越することはできないのだろうか?当読書会の面々は現代人の優位にたいして否定的である。
1926-2001。アメリカ出身で、いわゆるSF黄金期の作家。ミネソタ大学在学中に、『明日の子ら』をF・ウォルドロップとともに執筆してデビュー。ハードSFを中心として、『タウ・ゼロ』や『タイムパトロール』などの古典的名作を次々に生みだし、ヒューゴー賞を7度、ネビュラ賞を3度獲得している。ちなみに、娘が一人いて、その娘の夫はグレッグ・ベア。
西暦993年のアイスランドの海岸に一人の男が現れた。その男は奇妙な服を着ていて、全く要領の得ない話を始める。首長オスパックは一旦は彼を保護するも、彼は法螺話ばかりをしていて、ー時には彼の不思議な道具が役に立つことはあったがーまともな仕事は何ひとつできない。そのうちに、ソーグンナをめぐって、ケティルと決闘をすることになり、彼はピストルという飛び道具を使って勝利する。しかし、そのせいでヤルマーの一族に追われることになり、ついに殺されてしまう。
1000年でなくとも、100年前、150年前であったらどうでしょう?
道徳の流行も同じように何でもありで、しかも大抵の人には見えない。 だがそれは服装の流行よりずっと危険だ。流行の服装は 良いデザインと誤解されるが、流行の道徳は善と誤解される。 変な格好をしていても笑われるだけだが、 道徳の流行に逆らうと、馘になったり、村八分になったり、投獄されたり、 殺されることさえある。
あなたがタイムマシンで過去に時間旅行に行くことになったら、 どこへ行くかにかかわらず、常に正しいアドバイスがある。 口にすることに気をつけろ。我々が無害だと思っている意見でも、 たいへんな騒動に巻き込まれる可能性がある。
例えば、過去に飛ばされたジェラルド軍曹は普通に振る舞っているつもりであっても、礼儀を無視していたり、勘違いされるようなことを言ってしまう。(例:「土地を持っていない」→「貧乏人」とみなされる)
[コメント]
参考に肯定的な意見を1つ。
だれもがインディアンやホッテントットのような未開人よりもよく自分の生活条件について知っているといえるだろうか。おそらくは、いなである…
つまり、それを欲しさえすえば、どんなことでもつねに学び取ることができるということ、したがってそこにはなにか神秘的な、予測し得ない力がはたらいている道理がないということ、むしろすべての事柄は原則上予測によって意のままになるということ…
このことは魔法からの世界解放ということにほかならない。こんにち、われわれはもはやこうした神秘的な力を信じた未開人のように呪術に訴えて精霊を鎮めたり、祈ったりする必要はない。技術と予測がそのかわりをつとめるのである。
Max Weber「職業としての学問」(尾崎邦夫訳, 岩波書店, 2007年, p32-p33)より
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