2006/9/2
レポーター:藤井 
H・G・ウェルズ「モロー博士の島」 
                                         
1.作者について
 H・G・ウェルズ(1866〜1946)。イングランドのケント州に生まれる。家は商人で階級的に言えば中流の下である。14歳には丁稚奉公にだされており、生活の困窮ぶりが伺える。様々な仕事をした後の1884年には科学師範学校に入学し、T・H・ハクスレーに師事。進化論を学び宇宙的悲観論の影響を受ける。88年の卒業後しばらくは教職、ジャーナリストに就くが95年には作家として『タイム・マシン』でデビュー。一躍有名になった彼は翌年、本作品『モロー博士の島』を発表する。その後も精力的に作家活動を続けた彼は、『宇宙戦争』や『透明人間』、『来るべき世界』などを代表に100冊以上を著した。その内容はSFに限らず、例えば『世界文化史体系』は歴史書として高い評価を得ている。また社会活動にも一貫して関心を持ち続けており、一時はフェビアン協会に所属していたほどである。

2.あらすじ
 1887年2月1日レディ・ベイン号は南太平洋上に沈没した。乗客の一人、エドワード・プレンディックは他の二人の男と小型ボートに乗り漂流することに。仲間割れで二人の男は死ぬがプレンディックはイペカクアナという名の交易船に救助される。そこに乗り合わせた元医学生のモンゴメリーの看病で命を救われた彼は船長の機嫌を損ねたために途中の島で降りるモンゴメリーと共に船を降ろされてしまう。島で生活しているのはモンゴメリーの他にモローと言う名の白髪の老紳士。モローはイギリスでも良く知られた生理学者で過激な生体実験と研究を理由にイギリスから追放されたのだが、その島で密かに研究を続けていたのだった。そしてその研究内容とは動物を外科手術と洗脳によって人間に造り替えるという驚異に満ちたものだった。造られた獣人達はモローによって植え付けられた観念を掟として守ろうと反復させられることでどうにか人間のように振舞う事が出来ていた。しかしモンゴメリーが持ち込んだ兎やモローの新しい実験が島を混乱へと導いてゆく。モローとモンゴメリーは死に獣人達が野性に目覚める中で、孤独なプレンディックは生き延びて島を脱出するのだった。

3.作品の背景
 絶海の孤島に創りあげたモローの世界が崩壊してゆく過程を辿るストーリーは当時のイギリスの危機感を示している。第二次産業革命によってドイツやアメリカが急成長を続けイギリスの重工業の生産力を追い抜き、スーダンではマフディー派に敗北するという対外的な危機とそれに対する不安にイギリスは襲われていた。キリスト教を揶揄(?)していると思われる描写の数々はウェルズが唯物論者であったことを示している。イギリスに戻ったプレンディックを襲う孤独感や対人恐怖はウェルズが当時抱いていた人間不信を示す(のか?)。あとはモローの研究内容だが、イギリス追放のきっかけとなった輸血の実験は実際あったのだろうか?人間同士の輸血が成功したのは1825年。1900年にはABO血液型がハケーンされて近代輸血が始まったようだ。これを考えればモローの実験は時期的にありうると考えられる。また、獣人に眠る野生を犯罪者としての資質のようにモンゴメリー達が表現しているのは、当時流行していた犯罪人類学の影響を受けた描写である。あと、この作品は何回か映画化されている。『ドクターモローの島』(1979)、『D.N.A』(1996)など。因みに『D.N.A』はシリーズ化され『〜K』『〜L』が翌年、翌々年に作られ、2004年には『D.N.A Reloaded』まで作られている。私はKまでしか見ていないが。というか気づかなかった。

4.私的感想とトピックス
 私的感想をばまず先に。物語の状況設定に萌えますた。南海の孤島、狂気の実験、UMAの三つが揃っているのがやはり強いですね。しかもプレンディックの甥による前書きという小道具が物語の神秘性(X-FILEっぽい)やリアリティーを高めていていやがうえにも読者の気持ちは盛り上がる仕掛けになっています。ジャングルの中で獣人に襲われる!というサスペンスは物語を読み進めていく上で重要な要素ですが、それが決してメインにならずにあくまでウェルズが語りたい「人間の退化」を描く道具となっているのは巧いですね。これは、そういった冒険活劇色が物語の後半から濃くなっている点で分かります。
それではトピックですが、まず外科手術でこんなことが可能なのか?という点ですね。この問題を遺伝子操作に変えて回避したのが『D.N.A』シリーズです。それから仮にそれが可能であるとして皆さんならどんな生物を作りますか?またキリスト教に対する揶揄を物語に執拗に挿入することで何がしたかったのか?獣人達を洗脳と固定観念による束縛で躾けることは可能なのか、また可能であるとすればそれが退行してゆくという現象は起こるのか?物語は進化論をベースとしているが、それはウェルズ本人の著作活動上どんな意味を持っているのか?退行後の獣人達は奇妙としか言いようのない生物群だがそれらはどうなったのか?と、この辺がトピックになるのではないでしょうか。他にイギリスに戻った後の描写を入れた意味も気になります。様々な要素が含まれる小説だけにこれにとどまらない議論をしていただければ幸いです。

☆読書会後のまとめ
 議論は主に、モローがなぜ動物人間を作ったのか、人型にしたのはなぜか、人間として振る舞いさせることの意義はどこにあるか、またその際に人間の基準をどこに置いたのか、といったトピックを中心に進みました。最初の2つの疑問に関しては本文で学会提出と復権がその答えとして挙げられています。しかしあとの二つについては当時の人間観を考慮に入れて考えなければなりませんでした。かつて動物と人間を分ける定義が感情があるかないかなどといった曖昧なものであったことが背景にあるようです。島に帰った後の描写が非常にSF的であるという意見も出ました。科学が進歩する時代にこそ人間の退化を意識させるこの物語のメッセージを汲み取れば、SFの根本的な要素の一つである人間、社会、時代への警告という役割を果たすそれをテーマとした本作品はSFというジャンルの発生に大きく寄与していると言えるだろうというのが本議論の最終結論でした。SFというジャンルの定義について、新入の私がここで改めて考える事が出来たという点では、本作品を選んだのも誤りではなかったとほっとしております。