DATA

開催日:2005/12/16
レポーター:河村
課題:押井守『イノセンス』

RESUME


『イノセンス』    

 

《監督紹介》
押井守。1951年生まれ。東京都出身。東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。大学在学中、自主映画を制作。1977年、タツノコプロダクションに入社。テレビアニメ『一発貫太くん』でアニメ演出家としてのスタートを切る。1980年、スタジオぴえろに移籍し、鳥海永行氏に師事。1984年、スタジオぴえろ退社。以降、フリー。主な作品は、劇場用アニメ『うる星やつら オンリー・ユー』(脚色・監督/1983年公開)、同『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』(脚本・監督/1984年公開)、同『機動警察パトレイバー』(監督/1989年公開)、同『機動警察パトレイバー2 the movie』(監督/1993年公開)。1995年に公開された『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(監督)は、アメリカやイギリスでも公開され、翌96年には米ビルボード誌でセルビデオチャートNo.1を獲得する世界的話題作となった

《前作『GHOST IN THE SHELL』のあらすじ》
電子やネットの光が駆け巡っても、国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来。警察組織公安九課の捜査官草薙素子は、相棒のバトーやトグサと共に国際的犯罪者、コードネーム「人形使い」の捜査に当たっていた。そんな折、アクシデントから9課のラボに人形使いと名乗る義体が送り込まれるが、何者かによって持ち去られてしまう。そこには公安六課の、コードネーム「2501」と呼ばれる極秘プロジェクトが密接に関わっていた。人形使いに対して何か自分と共通なものを感じていた素子は、その回収に動き、戦車との死闘の末接触し、人形使いの視覚言語野に侵入する(される?)。そこで人形使いは、子孫を残すため素子と融合したいという希望を明かす。その直後、二人は何者かによって狙撃されてしまう。バトーによって別の義体に入れられ救われた素子だが、人形使いと実際に融合したかどうかは不明。次に会うときの暗号を「2501」にすると約束し、素子はバトーの元を離れ、広大なネットの海に消えていった……。

《今作『イノセンス』のあらすじ》
ガイノイドによる殺人事件が発生→バトーが調査、犯人であるハダリを破壊→ガイノイド暴走の原因究明に乗り出す→製造元のロクス・ソルス社の出荷検査官が何者かに殺される→ロクス・ソルスとつながりのあったヤクザ事務所を襲撃→バトー、コンビニで電脳に侵入され、自らの右手を吹き飛ばす→回復後、トグサと共に更なる調査のため、択捉に飛ぶ→キムの館にてトグサが電脳に侵入されるも、素子の援助とバトーの機転で難を逃れ、キムを逮捕→バトーが単独でロクス・ソルスのガイノイド製造船に侵入、素子との再会→ロクス・ソルスに拉致されていた少女を救出、真実が明らかになる。その後素子はまたバトーの元を去ってしまう→トグサの家にてエンディング。最後の人形を見つめるバトーの心境を推察してみるのも面白いかも

《登場人物》
バトー……ほぼ全身を義体化したサイボーグ。内務省公安九課に所属する刑事。ロクス・ソルス社製アンドロイドを巡る謎の連続自壊/殺人事件の捜査を担当することになる
素子……かつて公安九課に所属していた女性で、課内の人間には“少佐”と呼ばれている。4年前、人形使いと称されるプログラムと融合し、ネットワークの海へ姿を消してしまった
トグサ……公安九課の隊員。課内唯一の所帯持ちにして、全身ほぼ生身という九課の中では異色の存在。草薙のいなくなった九課において、バトーとコンビを組むこと             になる
荒巻……公安九課を率いる司令塔。部下の信頼は厚い。ロクス・ソルス社の連続アンドロイド暴走事件について、バトーとトグサに捜査を命じる
イシカワ……公安九課の隊員。バトーとは古くからの知り合いであるため、目付け役などの役回りを演じることもある。気配りも細やかなベテラン
ハラウェイ……バトーとトグサが捜査の途中で遭遇する検死官。自壊したアンドロイド暴走理由、人形と人間の関係について独自の解釈を披露する
キム……ロクス・ソルスとつながりが深く、体のほとんどを機械化した人間でありながら人形のような存在。今回の事件のカギを握る

<ちなみに>
映画版GHOST IN THE SHELL、イノセンスとテレビ版STAND ALONE COMPLEX、2nd GIGは完全にパラレルワールドの様相を呈しています。その証拠にテレビ版に「人形使い」という言葉は全く出てこず、素子が人形使いと融合したという事実はありません。また、荒巻も映画版では部長ですが、テレビ版では課長となっています。声優も違いますしね

《用語》
サイボーグ〜義体……義手、義足等の延長線上にあるもので、失った肉体を補うために作られた人工の肉体のことを義体という。義体化を行った人のことは、総称して「サイボーグ」と呼ばれる。体の一部を義体化している部分サイボーグは「人間の能力を補う」、草薙のような全身サイボーグは「人間以上をつくる」という点で、同じ義体化でも意味が異なる。アンドロイドとは異なり、非人間型の義体であっても元が人間である場合はサイボーグと呼ばれる

ゴースト……オリジナルと寸分違わぬ肉体を、義体という形で作ることはできるようになっても、そこにゴーストは宿ることは無い−−ということから逆説的に存在が証明された「個」を限定する因子のことを「ゴースト」と呼んでいる。現在使われている言葉として近い意味をもつのは“魂”“霊魂”などである。他人との区別より自己を限定するもの、自分を自分として証明する証拠である

電脳……脳に対してマイクロマシンを注入し、首に入出力インターフェースを埋め込むことで、思考を直接外部とやりとり可能となる脳の事を電脳という

攻性防壁……ゴーストハックされた際に逆探して、敵のゴーストに対して逆に攻撃するもの

ゴーストダビング……ゴーストを複製する行為。オリジナルの脳に危険が及ぶため禁止されている。これを行うとセクサロイドの抱き心地がよくなるらしい

《さあ、いよいよ論点よ! 好きなコーナーを選んでね☆》
●機械オタのコーナー
科学の発達により人間の機械化が可能になったら、その最終形態はどのようなものか? 『人間機械論』(岩波文庫・絶版?)の著者ド・ラ・メトリは、足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であるとし、霊魂の存在を否定して唯物的な生命観を展開した。『イノセンス』の世界ほど科学技術が実際に発達したとしたら、人間は自らを機械化し、ラ・メトリの説を体現してしまうのか? あるいは今とさほど変わらないのか? 体現したとしてその先にあるものは?

「人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である」(ド・ラ・メトリ)
「神は永遠に幾何学する」(プラトン)

●ロボットオタのコーナー
本編中ガイノイドたちが暴走を起こし、人間を殺したのはロクス・ソルスに拉致られた少女が原因でしょうが、その後彼女らが自殺しようとした原因はなんでしょう? ハラウェイによればその原因は人間がロボットを捨てるからだという。あるいはゴーストを組み込まれたガイノイドたちが人間に近づいてしまうことに必死で抵抗していた(キムによれば、人間は存在そのものからして人形にかなわないらしい)? 「タスケテ……」は何に対して発せられたメッセージ?

「鳥の血に悲しめど魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり」(斎藤緑雨)

●ハラウェイに萌えようのコーナー
本編中ハラウェイが吐いた言葉、「人間はなぜこうまでして自分の似姿を作りたがるのかしらね」。……うん、どうしてだろう。メイドロイドやセクサロイドはまだ分かるんですよ。あれはメイドに萌えたい、あるいは性欲を処理したいっていう欲望が生み出したものだと考えることは可能ですから。分からないのは他の人形、典型的なのはトグサの娘が抱いていたような人形。ああいう人形を使って考えられる遊びは「ままごと」や「着せ替え」ですが、どちらも人形を擬人化した遊びです。擬人化した遊びが楽しいのなら、人間そのものを使った遊び、つまり子育てはもっと楽しいはずです。つまり子育ては、ハラウェイが言うように究極の人形遊びに他ならないという結論にたどり着くことも可能です。よってロリコンは人間の古来からの欲望である人形遊びを体現できるものだから肯定されるわけです。ハラウェイ自身は子供を産んだことも育てたこともなく、卵子バンクにも登録していない、つまり子供を持つ意志がないということですが、子供の良さを知らない者のたわ言として無視することが果たしてできるのか? これに対する反論が成り立つかどうかを、なぜ人形を作るのかという疑問と共にお聞きしたいです

●「好き好きメイドロイド♪」のコーナー
人形はなぜこうも美しいのか? 人間は美しくない、その理由を押井守は、人間が自意識を持っているからだとしています。つまりどういうことかといいますと、人間は本当は美しいのかもしれないけど、人間は自意識を持っているがゆえに自らを美しいと感じることができないのです。「ゴーストを持たぬ人間は美しい」とキムも言っていましたが、それでも自分を美しいと思える人は単なるナルシストだそうです。比べて人形は自意識を持ちません。当然人間の命令にはなんだって従います。さらに彼女らは球体関節によって人間に劣らぬ優美な動きを見せてくれます。人形の美しさについて語り合いたい……そんな今日この頃です
《おまけ》『イノセンス』に出てきた格言
「柿も青いうちはカラスも突つき申さず候」(徳田秋声)
「自分の面が曲がっているに鏡を責めてなんになる」(ゴーゴリ)
「鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり」(斎藤緑雨)
「春の日やあの世この世と馬車を駆り」(中村苑子)
「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」(M・ウェーバー)
「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように」(仏陀)
「個体が創りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型」(リチャード・ドーキンス)
「その思念の数はいかに多きかな。我これを数えんとすれどもその数は沙よりも多し」(旧約聖書)
「彼ら秋の葉のごとく群がり落ち、狂乱した混沌は吼えたけり」(ミルトン)
「生死の去来するは棚頭の傀儡たり一線断ゆる時落落磊磊」(世阿弥)
「寝ぬるに尸せず」(孔子)
「未だ生を知らず。焉んぞ死を知らんや」(孔子)
「理非無きときは鼓を鳴らし攻めて可なり」(孔子)
「鳥は高く天上に蔵れ、魚は深く水中に潜む」(斎藤緑雨)
「何人か鏡を把りて、魔ならざる者ある。魔を照すにあらず、造る也。即ち鏡は瞥見すべきものなり、熟視すべきものにあらず」(斎藤緑雨)

《最後に》
やはり聞かずにはいられませんな。あなたはこの作品、好き? 嫌い? 某O先輩は、この作品はストーリーなどどうでも良く、圧倒的な映像と音楽を楽しむものだと言いましたが確かにそうかもしれませんね。だからホントは上映会→読書会っていう流れでやりたかったのですが、さすがに時間もないし断念せざるを得ませんでした(そんなことやってたらホントに留年しちゃうしね!)。劇場で見れなかったのがホントに残念……。あと、何か本編中分からないことがあったらお姉さんに聞いてね☆答えられる限りで答えるわよん♪

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