開催日:2003/11/21
レポーター:高橋
課題:ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」 (短編)
CRITICISM
ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」
レポーター・高橋
作者紹介
ダニエル・キイスは一九二七年ニューヨーク生まれ。ブルックリン・カレッジで心理学を学んだ後、雑誌編集などの仕事を経てハイスクールの英語教師となる。このころから小説を書き始め、一九五九年に発表した「アルジャーノンに花束を」でヒューゴー賞を受賞。一九六六年にはこれを長編化した同名の『アルジャーノンに花束を』でネビュラ賞を受賞した。その後、オハイオ大学で英語学と創作を教えるかたわら執筆活動を続け、『五番目のサリー』『二四人のビリー・ミリガン』などを発表。現在は教職を退き、フルタイムの作家生活を送っている。
あらすじ
知能障害を持つチャーリイ・ゴードン(三七)は実験的な知能向上手術を受け、それまでの三倍の知能を手に入れ、天才となる。しかし、彼の受けた手術は不完全なもので、徐々に彼はその知能を失い、命を落とす。
ポイント
1、差別
この作品のテーマはなんといっても差別であり、特に知能障害者への差別を問題にしている。手術後の天才的知能を得たチャーリイと周囲の葛藤、その後、再び元の知能に戻ったチャーリイと周囲の葛藤を基盤に物語は進んでいく。
a 手術後
・チャーリイの葛藤
知性を手にすれば、周囲の人たちの仲間に入れると思っていたチャーリイだが、逆にその天才的な知能が邪魔になって、以前よりもコミュニケーションがとれなくなってしまう。
それまで自分が周囲の笑いものになってことに気づく(P207〜211)(個人的にはここが山場だと思います)。優れた知能を得たことで逆に苦しむチャーリイの姿が、知能を人の優劣の基準として差別を行うものたちへのアンチテーゼとなっています。
・周囲の葛藤
以前は知能を基準に、自分より劣っていると思って差別していたものが、その基準の下で自分より優れたものになってしまう。
何かを基準に差別を行えば、いつ自分が差別を受ける側にまわるかわからない、というような教訓が読み取れます。
b 知能の衰退後
・チャーリイの葛藤
この時点でチャーリイは前の知能を失っているので、天才だった自分が成したこと、経験したことをぼんやりとしか認識できない。しかし、読者はよく覚えているので、このくだりは感動的です。
・周囲の葛藤
知能を失いゆくチャーリイ、再び工場で仕事を始めると、別の新入りの男にからかわれる。そのとき、味方になってくれたのは以前、障害を持つチャーリイをからかい、手術後はよそよそしくなって近寄ろうともしなかった同僚たちだった。彼らもチャーリイがレストランの少年に過去の自分を見たように、新入りの男に過去の自分の姿を見たのだろうか。
2、形式
この作品は主人公の日記という形式で描いている。主人公の知能の変化に沿って、使われる表現も平仮名ばかりの文章→理知的な文章→元の平仮名ばかりの文章、というふうに変化している。こういった実験的な表現形式が話の内容との間に密接な関係を持っており、効果をあげている。話の内容と形式の結びつきに必然性があるべきで、また、そうでなければいくら斬新なことをしても効果はあがらないのでないか。
まとめ
解決できないが解決しなければいけない、もしくはその努力を続けなければいけない問題(この作品の場合は知能障害者への差別)を極端化し、ドラマを描くことで現実にはもっと小さく、地味な形で現れているであろうその問題を読者に提起し、認識させることが小説の持つ意味の一つではないだろうか。
読書会後の感想
ラストの同僚たちの行動をめぐって、なかなか面白い話になった。行動の根拠を上に挙げたような、過去の愚かな自分の態度をなぞるかのような新入りの行動への憤りとする立場と、差別を行えば、自分もまた差別される側にまわるかもしれないということを学習し、防衛本能として差別をやめた、とする立場である。
前者は楽観的すぎで、実際にはそんなことはありえないという批判を受け、後者は筋は通るかもしれないが、そこまで利己的に動くものではない、テキスト中に根拠がないなどの批判を受けた。
フィクションを現実に照らし合わせて分析すること自体がナンセンスかも、ということを少し思いました。小説の構造から見ていく方が良かったかと。