開催日:2003/11/7
レポーター:浜岡将軍
課題:識名章喜「ナチズムを培養したドイツ・ユートピア小説」
CRITICISM
「ドイツ文学にはユートピアを描いたものはあまりない」と評されるほど、ドイツ人作家によるユートピア小説は今日知られていない。しかし十九世紀から二〇世紀前半にかけてドイツ国内ではユートピア小説は大量に出版されており、決して彼らにユートピアを構想する能力が欠けていたというわけではなかった。問題は帝政ドイツの誕生と機を同じくしていたこれら大衆の小説群は、当時のドイツ人が求めたユートピア像―民族主義的・国粋主義的傾向を意味する「フェルキッシュ」なイデオロギーに基づく、あまりに破天荒な内容のトンデモ小説ばかりだったのだ。ナチス・ドイツの敗戦と共に封印されたドイツ・ユートピア小説群。しかしながらそれらの小説を研究することでドイツ民衆がヒトラーを支持した謎を解く可能性があるのではないだろうか? このような問題意識を元に、ナチズムをお膳立てた「フェルキッシュ」な小説群のユートピア像を解説する。
作品の紹介を通じて人種主義、農本主義、科学至上主義などからなる「フェルキッシュ」ユートピアと、「非理性と科学のドイツ的和解」からなる「反動的モダニズム」としてのナチズムがその性質上対応しており、文学において科学技術の世界に邪悪な神秘主義を加えた「魔圏」を演出したこと、また「SFとファシズムは想像の源泉を共有している」という中沢新一の指摘を通じ、ナチズムとユートピアの親和性、オカルトや疑似科学などに生き続ける「魅力の重力圏」としてのナチズムの存在感を指摘している。
サブカルチャーであるこれらのユートピア小説群に当時のドイツ大衆の政治観が投影されていた、という研究は興味深く、「想像の源泉のファシズムとSFの共有」という指摘も刺激的であるため、「SFが政治の影響をいかに受け、また、与えるのか」などを考えながら本論文を読み、発表を行った(また発表会時は本論文の下地となっている『理想郷としての第三帝国』ヨースト・ヘルマント、柏書房、二〇〇三年および筆者の論文「啓蒙宣伝省のSF―ヴィルフリート・バーデ『グローリア』を読む」日吉文学紀要、一九九七年七月も参考に使用した)。
読書会における参加者の反応もおおむね好意的で、紹介されている小説を読んでみたい(!)との意見も聞かれた。また非ナチ的な近未来小説におけるユートピア像にすらSPD(ドイツ社会民主党)の社会ダーウィニズム的発想が盛り込まれている、という筆者の指摘には驚く向きもあったようである。
また、論点とした「想像の源泉の共有」に関しても、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』、『ガンダム』、ハリウッド製SF映画等々、確かに「ユートピア(また裏面としてのディストピア)を指向する世界」がファッショ的性格を持つものが少なくない、との意見が聞かれ、参加者は筆者の見解に同意していたようであり、特に批判は聞かれなかった。
読書会の反省としては、題材が特殊であったことから「用語がわかりづらいため、レジュメに説明が欲しい部分が少なくない」等の指摘があり、参考として示した『理想郷としての第三帝国』ともども背景知識のない場合やや面倒な内容であったかもしれない。また、発表に関しても論文の分析枠組だけでなく、本論にあげられた小説の説明もそれなりに交えておこなったせいか、発表が冗長になり、論点としたかった「想像の源泉の共有」「SFと政治の距離」にあまり時間を割けない、というバランス配分に問題の少なくない読書会となった。今後の課題としたい。「SFと政治」の関係に関して示唆を与える論文であっただけに、このような読書会になってしまったのは発表者として猛省したい。