開催日:2003/10/31
レポーター:矢守
課題:テッド・チャン「理解」
CRITICISM
「知能が向上したというのはどんな気分だね?」との問いかけ。
なんとばかげた質問を。
*「理解」を理解すること
現代のSFの旗手の一人、テッド・チャンの作品である。――詳しい作者の経歴などは他の人のレビューにも載っているだろうからほって置くとして、この「理解」という作品を始めて読んだ時私は「これって『アルジャーノンに花束を』なんじゃ?」と思った。簡単なあらすじを紹介すると脳に大きな損傷を受けた主人公グレコはホルモンK療法によって意識を取り戻すが副作用で大幅に知能が向上する。あまりの自分の知能の高まりに国家に利用されそうになったグレコはその高まった知能を用いて脱走。CIAをも手玉に取り、名前を変えて潜伏して自分の知能をさらに高めようとするが、ある日自分以外にもホルモンKによって知能が強化された人間がいることを知り…という作品だ。この作品を中ほどまで読んだ時(グレコが自分の強化された知能にとまどっているあたり)までは前述の感想を持っていたわけだが読み進めるにつれてその感想はすこしずつ変化した。ただ自分の高まった知能にとまどいを覚えるだけの『アルジャーノンに花束を』の主人公と違い、グレコは高まった知能で実現するべきと信じる理想があり、終盤のもう一人のホルモンKによる超知能者との相違もそのお互いの理想の食い違いから表現されている。そしてラストの決着とこの小説が「理解」と名づけられた意味を理解したとき私はこれは『アルジャーノンに花束を』の亜種小説でなく、SFの新しい才能が表現されたものだと〈理解〉したのである。作者はこれが処女短編集でまだ作品も多くないが、このレベルの作品をコンスタントに創作できるなら近い将来チャンの名前はSF界の巨匠であるディックやアシモフと並んで語られるのかもしれない
おまけ ちょっとだけ文句
…とここまでで随分褒めちぎったがまだ多少は不満が残る部分もある。グレコともう一人の超知能者の理想がここではネタバレになるので詳しくは言えないが要するに「自分のため」か「世の中のため」という違いだけしかなく、多分に他の人も実現したいと考える理想でしかないことだ。何もしないという選択肢や『アルジャーノン』で見られた周囲との関わりが排除されているため主人公たちが多分に〈あつかいにくい、すごい能力の天才肌の人〉で終わってしまっているのだ。さらに終盤の二人の対決ももはやサイキックバトルの趣であり、さらに主人公が知能だけでなく自分の体をコントロールして身体能力を高める術を開発してしまうため、強化された知能というのが一種の超能力にすぎないように感じてしまう。そんなに知能があるなら意見の違いすら「理解」しあいお互いを高めていけるのでは? という疑問も残る。
それでも作中にあるような超知能が欲しいなあ、と感じてしまうのは私たちがなんのとりえもない凡人であるためかもしれないが。