開催日:2003/8/28
レポーター:大澤将軍
課題:グレッグ・イーガン「適切な愛」
CRITICISM
事故で夫のクリスを亡くしかけた主人公、ペリーニは、クリスのクローンを作り、そこにクリスの脳を入れるという保険の話を聞かされる。それは、ペリーニがあらかじめ納得して加入した、熟知したはずの方法だった。しかし、現在の経済状況の中、クローンが成長するまでにクリスの脳を保管するために彼女が現実的に選べる選択は、クリスの脳を、自分の子宮の中で育てるという方法しかなかった! 彼女はわきあがる疑問を必死に合理化しながら、夫の脳を保管し続ける。やがて夫の脳はクローンに戻され、彼女は夫を甦らした。しかし、生まれ変わった夫を見る彼女は、既に「人間的」な感情を失ってしまっていた…。
あらすじだけを書いても、あまりピンとくる作品ではないかもしれない。この作品の真骨頂は、イーガン独自の描写力によって描かれる、彼女の迷い、そのものである。他の作品のように、奇天烈なアイディアが読者の心を揺り動かすといったタイプの作品ではないが、イーガンの本領である、冷静で分析的な描写によって表された、一人の女性の心の動きを表したこの作品は、他にはない凄味があると言えよう。
この作品、技術が発達したことにより、それまでに存在しなかった倫理的問題が、学者の側から一般の側に降りて来てしまう、一般人もその問題に向かわなければならない状況に追い込まれる、という所が、極めて今日的なテーマであると言えるだろう。それは、たとえば脳味噌だけを保存することに主人公は「保険契約」という形で納得しているものの、実際に「体を捨てられる」という段階になると拒絶してしまうといった細かな心理描写に見られる。人は理屈では動かない、という普遍的な真理を、理屈ならだれよりも詳しいイーガンが理論的に描いていく。この妙味は、他の作家と題材では、得られない味である。
また、現在の研究では、脳だけが人格を規定するものではないと考えられているが、脳味噌だけを保存してしまう、というのは、将来的に十分ありえる話である。一〇〇%のクリスか、八〇%のクリスかを技術発達と経済的状況によって選べる、あるいは選ばざるを得ない、という問題はそのまま、今や一般的になってきた脳死問題、臓器移植問題などに通じる所もあるだろう。そういった意味では、イーガンの諸作品の中でも、もっとも我々の身近に迫っている作品と言えるかもしれない。SF小説を突き抜けて、ほとんど現代小説の域まで来ている。
そして、私が、数あるイーガン作品のなかで、この作品がもっとも好きな理由は、最後の主人公の独白にある。ネタばれになってしまうので、ここには載せないが、主人公の、ある意味でネガティブを突き抜けた根底にも存在する、ポジティブであろうとする姿勢が、本質的なところでこの小説を、他の悲観的なだけの未来小説と隔てている所ではないかと思う。主人公はたしかに、全てを分析的に見、真実を見つめざるを得ないという状況を経て、人間的な考え、感情といったものにたいして「理解」出来ても、「感動」することが出来なくなってしまうわけだが、それでも彼女は、「独特の醒めた情熱」と「独自の力」があると言い切る。この根底の部分で、私は、「知ることは善である」あるいは「善であろうとする」という、SFの底力、あるいは人間の底力を感じることができる。
SFの枠をぎりぎりまで使用しながら、その中心を極めて現代的なテーマに持ち込んだ良作である。けっして気持ちの良い読後感ではないかもしれないが、しっかりと心に残る作品である。声を高くしては言わないが、いずれ、この小説が必要とされる時代が来るだろう。
いや、もうすぐそこまで迫っているのかもしれないが。
(大澤)