DATA

開催日:2003/8/28
レポーター:海老原
課題:グレッグ・イーガン「しあわせの理由」(『しあわせの理由』早川文庫)

RESUME

〈あらすじ〉
致命的な脳腫瘍を発症した12歳の少年マークは、しかし幸せな気持ちに包まれていた。それは脳腫瘍によってロイエンケファリンという物質が大量に発生したからである。マークは脳腫瘍を取り除く手術を受け成功するのだが、同時に「幸せ」を感じるためのニューロンも失ってしまった。極度の「鬱」に陥ったマークは30歳の時、新しい医療技術によって救われる。それは発泡体=フォームを損傷部位にあてがい、健康な神経組織から選び取ったネットワークをポリマーとなったフォームに形成させるというものであった。この手術を受けることで、マークには「幸せ」の回路が再び蘇った。しかしネットワークを自然に刈り込むことができず、結果として神経サンプル4000人分の「幸せ」をあわせたものがマークの「幸せ」となってしまったのである。そこで医者達はマークに二つの選択をする。一つは義神経の機能を完全に停止すること。そしてもう一つは、ネットワークをマーク独自の判断で刈り込むようにすること。マークは後者を選んだ。
マークは「コントロール・パネル」を操作するように「幸せ」の度合いを操作することを覚え、マークが長らく望んでいた平凡な生活を始める。しかし常に付きまとうのが、「何を基準にして幸せの度合いを決定するか」という問題である。やがて勤務先の本屋に客としてやってくる一人の女性――ジュリアに一目ぼれすることを「選択」するマーク。二人はデートを重ね、やがて性交をするにまでいたり、マークは自らの病気、自分が今現在抱えている問題についてあらいざらいジュリアに打ち明ける。一瞬、ジュリアは理解を示すが、しかし次の日にはマークの前から消えていた。マークは悲しみの中、「ぼくが、自分のあらゆる感情がこれまでの選択の結果に由来していることを忘れることは、決してないだろう」と思い、これこそが「自分の人生を作っていく」ことだと確認し、このような過酷な生を受け止める。

〈ポイント〉
・人間の「幸せ」の基準とは何なのか。物質的に規定されるものなのか。
・「幸せ」の基準は完全に人間社会の中で構築されるものなのか(特に芸術関係)。あるいは生得的なものもあるのか。
・「物質的な快感(シンナーとか麻薬とか)」と「芸術的な感動」は根は同じものなのか? それとも異なるレベルのものなのか?

〈引用〉
(1)ぼくは他人の自我の材料だったものを提供されて、そのすべてを試し、そのすべてをとても気に入ったけれど、そのどれひとつとして真に自分のものにはできなかった。[…]ぼくは他人という太陽に照らされて風に舞う抜け殻に過ぎない。(397)
(2)ぼくはなにがしあわせを感じさせるかを好きに選択できるし、その結果しあわせを感じている。だが、自力で新しい自分を生み出した場合、その結果しあわせになろうが、ほかのどんな気分になろうが、ぼくの選択とその結果のすべては、つねにまちがっている可能性があるのだ。(404)
(3)ぼくはいっさいをなりゆきにまかせることにして、コントロール・パネルには触れずに、ただ、自分がすべてを変えられたことだけを覚えておいた。そしてそのとき気がついたのだが[…]ぼくが、自分のあらゆる感情がこれまでの選択の結果に由来しているのを忘れることは決してないだろう。(423)
(4)父の姿を見ながら、ぼくは思った。ぼくの頭の中にあるのは、父から、母から、そして想像を越えた遠い過去の、人類も原人も含めた一千万の祖先から受け継いだものだ。そこに新たな四千人分が加わったからといって、何が変わるというのだろう? 人類は皆、同様の遺産から[…]自分の人生を作っていく。ぼくはその過程を、ほんの少し具体的に意識せずにはいられないだけだ。(422-423)
(5)オナニーは信じがたいすばらしさで、コントロール・パネルでそれに関する点数を低くするのを止めようかと思ったほどだ。しかし、オナニーのせいでほんものの体験に対する興味をなくす心配は無用だった。(408)

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