DATA

開催日:2002/4/17
レポーター:齋藤
課題:椎名誠「泥濘湾連絡線」(『武装島田倉庫』)

RESUME

あらすじ
舞台はおそらく世界規模な戦争後(戦後という言葉が随所に見られる)、海は油にまみれ異形の生物が闊歩する世界。おそらく昔日本と呼ばれていた土地。
定吉とつけ漬じる汁屋は阿古張湾のつめばら詰腹岬から吊目温泉までをつなぐ船渡しの商売をアサコという盲目の、しかしある種の超能力を持った「あま天おり織おとめ乙女のような」美少女と共に始める・・・。

時間がないので一気に書き上げるぞお。
この本のなにが面白いって、まず椎名誠のSF(『アド・バード』『水域』とか)に出てくる異様な名前と、その名前から連想される異形の生物やら機会やらである。上のあらすじにすでにいくつもでてくるが、異様でありながら和風の、ゆえに姿かたちが連想できる名前をつけるセンスにおいてこの作家は傑出している。
「ザンバニ船が近づいていくと、花触手をひらひらさせたおびただしい数のめら平壁海鼠(めらなまこ)があわてて柱を這い上がり、汚濁水貝(よごれみみ)がきちきちとヒステリックな警戒音をあげた。」
うーんファンタスティック。あとこの作家はやたらと擬音語、擬態語を多様するが、擬音語、擬態語というもの自体が他の言語に比べて日本語で非常に発達したものであることに注意されたい。よーするに椎名の作品は日本語の美味しさに満ちているのであり、これを原語で読めることに感謝すべえということである。
椎名はオールディスの『地球の長い午後』が大好きで、明らかに本作品は影響を受けている。『地球の長い午後』は日本語訳も素晴らしく(椎名もエッセイ中で絶賛していた)、ツナワタリとかいろいろ異形の生物がそれっぽい名前で出てくる。
あと、椎名のSFのノスタルジックな雰囲気にも注意しなければならない。自分の力に頼って生きていくのがなんかアメリカの西部時代やヘミングウェイっぽいのだろうか。
しかし、このノスタルジックな雰囲気をジェンダー論的に解釈すると、椎名の作品の中の男らしさと、その反対のものである女らしさの典型がもろにキャラクターの中に見出せる。「泥濘湾連絡線」のアサコである。椎名の心の師匠である井上靖にもその傾向があって、井上靖ファンの私もこの点はどうも嫌いなのであるが、無害でひたすら美しいだけの女性像、あくまで男の視点からのみ捉えられ、神秘化された、現実にないような女性像が見えてくるのである。小谷真理さんなんかにこの話を振ってみたらどうなるかななんて考えちゃったりして。

時間がないので今回はこの辺でチョン。ああ、印刷ができねえ! ハイカラな機械を導入すんじゃねえ!

COMMENTS

なんかえらく評判が良かった。たしかに椎名誠の作品では『アド・バード』とこれが双璧をなす面白さである。
しかし椎名の示す失われた美しい時代への憧憬、ノスタルジアはボコボコに叩かれた。椎名の子育て観まで俎上に載せて。まあ叩き始めたのは私ですが。男が男らしく、女が女らしい世界、現代のわしらにとってそれは決して美しく見えはしない。女みたいな男、男みたいな女がいた方が面白いじゃないかといった感性を我々は持っている。
ノスタルジアといえば、この作品のもつ「日本的な」雰囲気(漢字の多用、カタカナの不使用といった書き方にも表れている)もある種のノスタルジアでなかろうかという意見もでた。つまりこの作品は未来小説の形をとりながらその実は過去を見ている小説というわけだ。
そういえば椎名は『白い手』『哀愁の街に霧が降るのだ』といった小説でも過去への憧憬を見せている。最近では『黄金時代』なんて高校時代を描いたものを書いたらしいが読んでない。しかし少なくとも『哀愁』では高校時代はそんなに美しくは書かれていなく、柔道と喧嘩と文学に熱中した時代だったらしいが、特に喧嘩に対する嫌悪みたいなのが感じられ、自分に対する他者的な目を多少なりとも持っていたが、果たしてそれをまだ持っているのだろうか?
あとこの淡々とした物語がまたノスタルジックだという意見もでた。かつての日本の純文学、おそらくは井上靖の影響か?

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