DATA

開催日:2002/11/29
レポーター:斎藤
課題:モーパッサン「髪の毛」(早川文庫)

RESUME

モーパッサン(1850−1893)はフランス自然主義文学の大家で、主な著書に「脂肪の塊」「女の一生」など。晩年は発狂し、精神病院で死去。

(たぶん誤ったあらすじ)
ああっこの髪の毛のサラサラがサラサラがっ
ブロンドがブロンドがっ
ナチュラルブローがナチュラルブローがっ
ああまとわりつくまとわりつくっ
ほんほんほんほん。

唐沢兄弟のせんずりネタとモーパッサンの本作との違いは何か?眼鏡やセーラー服やナース服やメイド服に欲情するのとの差は?

美しいか否か? しかし美意識なんて性欲の合理化のためのおためごかしでは? 物質的に愛するのと精神的に愛するの? いまどき精神なんて笑っちまうか? ものそれ自身を愛するのとそのものから連想されるものに興奮する違い? 結局この狂人(?)は髪が好きだったのかその髪から連想される女が好きだったのか?

しかしここで描かれる金髪の長い髪はたしかに美しい。思わず「ほんほんほん」となるほどに。

この狂人(?)は狂っているといえるのか? これが書かれた時代はともかく、とにかくやたらと「色々な」人が跋扈(ばっこ)している現代では?

モーパッサンは自然主義文学の大家といわれているが、この作品はあきらかに耽美主義。日本では谷崎潤一郎にこんなのがある(らしい。私は読んだことない)。自然主義と耽美主義の接点はどこにあるのか? すくなくとも日本の自然主義文学者はこんなの書かなかった(らしい。実際に読んだことはない)。漱石は前にもやった「夢十夜」なんてのを書いたけど、彼は自然主義文学者とは呼ばれないし、夢十夜は幻想的ではあっても耽美的ではなかった。

実は私も…というフェチズムをお持ちのかた、どうぞこの機会に名乗り出てください。ネタにしますので。

COMMENTS

物それ自体に興奮するのか、物から連想されるものに興奮するのか。かつて興奮したときに「すりこみ」が起きてパブロフの犬のように物に対して興奮するようになったのか。過去の経験ゆえの後天的なのものなのか、先天的なものなのか。結論はでませんでした。だってわしらフェチズム持ってないもん。
美しいか美しくないかということに言及しなかったのは失敗。レジュメにも書いたのに。
この作品が書かれた当時と現代との差。変態が日常に入り込んでいる、というより日常の日常性が希薄になっている現代と、日常が歴然として存在していた過去。変態に対して寛容であるというより、変態に対して無関心でいられるようになった現代。髪くらいなら別にいいんじゃない、というときの現代的冷たさ。この作品の受容のしかたは現代の鏡となる。

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