開催日:2002/7/28
レポーター:関根
課題:スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』(早川文庫)
RESUME
ところは何処、惑星ソラリス
無限に広がる大宇宙! そこには解かれるべき未知なる謎が、危険極まる冒険が僕達を待っている!……本当に?
惑星ソラリス、そこには生きた海がいる。地球はこの海を理解するために研究者を送り、観察と実験を行い、なんらかの理論をひねくり出そうとする。ところがどっこい何にもわかんねえときたもんだ! ざまあみろ!
お話は懲りもせずに我等が主人公ケルビンが惑星ソラリスの研究ステーションに降り立つところから始まります。しかしそこは荒れ放題、そこにいるはずの三人の研究者のうち、ギバリャンはすでに死に、サルトリウスは引きこもり、唯一出会えたスナウトは微妙にテンぱっているありさま。
というのも海の奴はどういうわけか人の頭ん中の一番微妙な記憶を嗅ぎつけ、その記憶に係わるクリティカルな人物を現出し送り込んできたからです。我等がケルビンのもとに舞い降りたのは、昔の女、萌えキャラハリー(19)。ケルビン(通称クリス)はひょこっと出て来たハリーにびびり、一度は怖くなって宇宙に放り出してしまいます(酷い…)。しかしまたやって来た萌え萌えハリーにだんだん情が移っていってしまうケルビン。ところかまわずいちゃいちゃし始めます。しかしハリーは、自分が海に生み出された人間ではない他の何かであることを知ってしまい、スナウトに頼んで自らを消滅させる処置を受けてしまいます。なんて可哀想なハリー! 実は悲恋ものでもあったりするんですな。
それにしても何故海はこのようなことをしたのでしょうか。
ケルビンは自ら調べ、他の二人とも話し合いますが、結論はでません。結論なんざ無いからです。人の特徴的な意思、好奇心、理解しようとする衝動、これら精神の動きを、少なくとも人が理解できる形では海は持っていません。海は人が如何に接触しようともその理解を根本的に拒否する遠すぎた存在だそうです。まさにこの海のわけのわからなさ、そしてそこに人が感じざるを得ない不気味さ。のん気なファースト・コンタクトものに比してなんと後ろ向きな、それゆえになんと興味深く新鮮な印象を私達に与えることでしょうか。理解不能のもの。コミュニケーションはおろか接触の方法すらわからない異質な存在。このような存在を提示できるのはSFが持つ一つの長所であろうと思います。
さてさて…スタニスワフ=レムはポーランドのSF作家です。東欧ですな。彼がどういう意図のもとにこのような作品を書いたかは、解説のなかに引用されたレム自身の言葉を読めば分かる通り、「宇宙には未知の世界があるんじゃないの」ということを言いたいがためであります。
例えば「スターウォーズ」や「銀河市民」なんかの世界では当り前のように様々な種類の宇宙人が一緒に住んでたり、商売したり、戦ったりしてます。またいくつかのSF作品では地球人と異星人のコミュニケーションの困難さとその克服が書かれます。しかし、レムの言う通り、描かれる異星人たちの姿は奇妙な習慣や独特の肉体を付与されてはいますが、地球上に存在している「条件」あるいは諸類型の引き写しに過ぎない、という面は確かにあります。
一方ル=グィンの「闇の左手」はアンドロギュヌスの異星人と地球人男性の接触を描くことによって、地球の、というか現代の社会について考察を行おうとする観念小説であり、いわゆる純文学の作業でもあります。レムの作品は、あくまで純文学で扱えない部分をカバーするSF小説としての役割を強く意識し、かつそれまでの異星人ものへの異議申し立てとして書かれたようです。その試みが成功しているかどうかは一人一人が自分の器量に従って勝手に決めたらええねやと思いますが、私見では成功していると言っていいんじゃないかと考えます。
どうですか。
スタニスワフ・レム(Stanislaw Lem)
1921年生まれ
原題「SOLARIS」は1959〜1960に書かれた。
「ソラリス」と「砂漠の惑星」、「エデン」でレムの人類と何だかわかんないものとの接触シリーズ三部作を形成。
おまけ:イカすセリフ
「何もかも? その……すでに前にもここに一度姿をあらわしていて、そしてきみが……あれしたということも?」P242
なにしたんですか
「なあに?……うまくいかなかったの? どうして?……どうしてそんな目で見るの?」P223
ある意味クライマックスというか
「小一時間……」P93
問い詰めますか
「夜することは眠ることだけだよ」P151
うそだ!?
COMMENTS
出た意見を順不同に箇条書きすると
・ハリー打ち上げシーンがたまらねえ
・海の描写、その色や形の描写が細けえ、あと設定が奇抜
・海よりもケルビンの行動が某人物に似てて気になる
・スナウトんところに来ていたお客はいったいどんな奴なんだろう?
・後半よりも前半の人物描写がいい、後半のハリーに萎えた
・ラストのソラリスと人との関係についてのところとかいかす
・コンタクトの困難さを描くのは冷戦期という時代的なものもあるとか
・ハリーは泣きゲーに使えるとか
・わけわからんものとして完成した物語である
・科学的な試みの描写のところが俺を刺激する
他にもあったような気がしますが、ああ、映画との相違点とか、これから作られるらしい映画が心配だったとか、ありましたな。
理解不能な存在の提示、それに対する人の試み、それらの描写だけではおそらくこの物語が至極退屈なものになっていたかもしれません。ハリーという女性の存在によって抽象的な部分がぐっと身近なところに引き寄せられるのではないかと思います。
まあなんかハリーがかわいくなる後半はあんまり良くねえという方もおられましたようで。かったるくなってくるんでしょうか?
ともあれ非常に泣けるハリーとケルビンの顛末ののちも別にソラリスの海と人間の関係に何か変化があったかというとそうでもない。わけわからなさが否応にも引き立つと言うものです。
参加者は岡嶋元代表、井崎代表、関根、大澤、海老原、阿部、斎藤、向井の8人で、皆活発に発言し、意見を述べてくれました。始まるのが遅かったため、またレポーターの私が某朝生番組の司会ばりに関係無いところでブレイクしたために、いまいち物語へのつっこみが足らなかったかもしれんなと思います。
以上月間読書会の報告であります。